http://www.global-news.net/ency/naito/
一橋大学大学院社会研究科 内藤正典データルーム
...内藤正典による中東・西欧マンスリーを中心としたニュース解説、「イスラームによるヨーロッパへの挑戦」をテーマのもと
COEプロジェクトにおいて制作した、各国政治家へのインタビュー、イスラーム組織の実態などの映像コンテンツの一部を紹介するサイトです。
10月9日、トルコのテロ対策高等評議会は、3時間半におよぶ議論の末、トルコ国内でテロ活動を続ける組織を(隣国イラクに拠点を置く)壊滅させるため、「越境攻撃」を含む、あらゆる政治的、経済的対抗策をとるべく、関係諸機関に「命令」および「指示」を発出した。通例、この会議は、副首相が議長をつとめるのだが、今回は、エルドアン副首相が直接主催した。軍からはエルギン・サイグン参謀次長など、閣僚からは内務、法務、国防、および官房長官兼副首相などが出席した。
この決定は、2006年以来、北イラクからトルコ側に越境して、トルコ軍との衝突、一般市民へのテロを続けてきたPKK(クルド労働者党またはクルディスタン労働者党)に対して、トルコ国内の反発が高まっていたことを直接の理由としている。とくに、2007年5月に首都アンカラの繁華街で市民をターゲットとした自爆テロが敢行されたこと、10月に入って、東南部地域のシルナク県で帰宅途中の村民12人がPKKの襲撃による死亡。7日にはトルコ軍兵士15人が殺害されるにいたって、トルコ国内世論の軍事行動への要求は頂点に達した。8日に大統領のもとで国家安全評議会が開催されたが、その結果については、チチェキ官房長官兼副首相は、「もはや言うべき言葉は残されていない」と短くコメントし、「明日、この短いコメントとは別の説明があるであろう」と述べた。
翌9日、テロ対策高等評議会が行われ、その後、首相府から出された文書による説明で、冒頭にあげた「越境攻撃を含むあらゆる措置に対する命令」の発出となったのである。
007年年初来、トルコ国軍参謀本部ならびに参謀総長は、繰り返し、PKKによるテロ活動を非難し、これに対して軍事行動をとる必要性を主張してきた。国内での掃討作戦はもちろんのこと、軍の主張は、テロ組織PKKの拠点が、北イラクのクルド地域に存在するところから、この拠点を越境して破壊する必要があるというものであった。同時に、5月に行われた統合参謀本部主催の国際シンポジウムにおいて、ブユクアヌト参謀総長は、「PKKの背後にはクルド自治区の指導者バルザーニがいる。バルザーニの背後には同盟国(アメリカ)がいる」という表現で、NATO同盟国の米国を強く非難した。
その意味するところは、以下の通りである。イラク占領統治が破綻するなかで、唯一、北イラクのクルド自治区だけは親米的な姿勢をとっており、かつ治安状況も、アラブ、スンニー派、シーア派地域とくらべて安定している。いわば、アメリカにとっては、イラク占領の唯一の成功例であり、この地域の不安定化は避けたい。
しかし、実際のクルド地域は、多くの部族集団や政治的主張が異なる集団が混在している。トルコ側に越境してテロを繰り返すPKKも、共産主義に思想基盤をもつ組織で、部族長支配の根強いクルド地域では、バルザーニ議長やタラバーニ(イラク大統領)などの封建勢力とは対立する。しかし、これまで民族国家を樹立できず、イラク戦争後、おそらく「最後の独立のチャンス」を手にしたクルドは、内部の対立を表面化させず、呉越同舟のまま、独立への地歩を固めつつある。クルド地域が目指しているのは、イラクという国家のなかでの連邦の一部ではなく、あくまで、可能な限り主権国家としての独立である。
そのために、PKKのような共産主義組織であっても、イラク領内で暴力活動に出ないかぎり、実質的には存在を認められてきた。バルザーニも、隣国であるトルコやイランからの非難を受けながら、PKKをテロ組織とは認めず、活動を野放しにしてきた。
アメリカ政府は、PKKをテロ組織と認定している。ちなみにEUも認定している。しかし、ブッシュ政権は、トルコ政府に対し、単独で行動しないこと、イラク、アメリカ両政府との協議にもとづいて問題解決を図ることを求めつつ、実質的には、唯一の親米地域であるクルド自治区には、多くの武器・資金援助を行っており、バルザーニに対して強い姿勢をとることができない。その間に、PKKによるテロと武力行使がつづいたため、トルコ軍、世論ともに、PKKを自由にしているバルザーニの自治政府とアメリカに対する敵意が頂点に達したのである。
これまで、軍が幾度となく、越境攻撃の必要性を主張してきたのに対して、エルドアン政権の回答は三つに集約できた。一つは「テロは断じて容認できない。軍が何を望むにせよ、政府もそれを認める」、もう一つは「越境攻撃よりも前に、国内のテロリストを掃討するのが先決である」、さらに「敵はテロリスト(PKK)であって、クルド人ではない」
軍は4月以来、政府に対して、強い姿勢を求めてきた。ブユクアヌト参謀総長は、「国軍は、いかなる軍事行動もとれる。しかし、向こう側(北イラク)に越境したとき、誰と戦うことになるのか?PKKだけでなく、ペシュメルゲ(クルド民兵組織で各部族長の支配下にある)とも戦うのか?米軍とも戦うのか?これは、政治が解決しておかなければならない問題である」と発言し、政府が何らかの決定を下さないと軍は動けないことを主張した。軍トップとしては、作戦行動には責任を持つが、それにともなう政治的帰結については、軍ではなく政府の責任であることを明示したのである。
軍やトルコ民族主義者の側からみると、エルドアン首相の姿勢は、のらりくらりと要求をかわしてきたことになる。「軍が何を望むにせよ、それに答える」と言いつつ、軍が求めてきた「政治的な決定」には答えなかったからである。その間、マスコミでは、「越境攻撃」の意味が、テロリストの追撃にともなう越境、およびその後、緩衝地帯をイラク国境の内側とトルコ国境の内側に構築することの意味だという説が流布した。政府は、この点についても曖昧な回答に終始したが、「テロリストを追跡して越境すること」(英語ではhot pursuit、トルコ語ではs?cak takip=熱い追跡)は、政治的決定(議会決定)なしに実行できるという立場をとっていた。緩衝地帯の設置について、政治家としてのエルドアン首相は言及を避け、「国内での掃討作戦が先決だ」とかわしたが、国家安全評議会(6月)は、緩衝地帯の設置が必要であることを認めた。
これに対して、アメリカ(国務省報道官)は即座に反応したが、「それ(越境攻撃)を我々が支持できるかどうか不明」とし、実質的にはゴーサインをだしたものと解釈された。その後、ブユクアヌト参謀総長は、さらに「実効性のある対策」の必要を訴えた。その際、「テロには政治的、経済的、社会的な背景があり、それらを根本的に解決しない限り、脅威はなくならない」とした。これに対して、アメリカ政府(国務省報道官)は、前回よりも強い調子で批判した。あくまでテロ問題の解決は、アメリカ、イラク、トルコ政府の三者の協議によるべきだというのである。
その後、トルコ政府はアメリカ政府の仲介でイラク政府とも、断続的にPKK問題を協議した。マリキ首相のアンカラ訪問をはじめ、先月には、両国間でテロ対策会議を開催した。しかし、PKK問題について、イラク側から実効性のある対策は示されず、越境攻撃は、イラク主権の侵害として強い反発を受けて決裂した。
その後2週間のあいだに、村人12名、兵士15名が犠牲になったのである。政府は、初めて「越境攻撃を含む、政治的、経済的、あらゆる手段をとるよう関係機関に命令・指示を発出」という10月9日のテロ対策高等評議会決定に至ったのである。
今後、ただちに、政府は国会に対して、メモランダムのかたちで決議内容を送達し、議会はこれを審議・決定する。イラク戦争参戦をめぐる議会投票のように、非公開で行われる可能性が高い。
9日の会議後になされたギョニュル国防省の発言が注目される。「越境攻撃には議会決定が必ず必要である。追撃(hot pursuit)には議会決定を必要としないが・・・」
これは、政府が従来追認の姿勢を示してきた「越境攻撃」と、今回、テロ対策高等評議会決定にある「越境攻撃」の内容が異なることを示唆している。これまで、越境攻撃はhot pursuitの結果として越境することを含意していたはずなのに、今回は、「議会決定を要する越境攻撃」となっている。しかも、hot pursuitには議会決定は要らないと言っているのだから、今回決定された「越境攻撃」は、より大規模な軍事侵攻を意味するものと考えられる。
そうだとするならば、トルコ軍は何をしようとしているのか?イラク領内に踏み込んで、15〜20キロ幅の緩衝地帯を構築することなのか。あるいは、北イラクの中核都市、キルクークやモスル、スレイマニーエ、エルビルなどに何らかの攻撃を行うのか。いずれにせよ、散発的な砲撃や爆撃のレベルではなく、実質的にテロリストの拠点を叩くことを意図していることは明らかである。
イラク政府やアメリカ政府が、9日に即座に反発したように、この種の軍事行動が行われれば、もはや三国間の協調によるテロ対策は失敗したことになる。すでに統治能力を失っているイラクのマリキ政権を見限って、トルコ軍が自国の防衛上必要な作戦行動をとるのは、トルコの主権範囲であることを明示するものになろう。現時点で、軍の作戦行動を予測することはできないが、いずれにしても、イラク、イラン(トルコ同様に、イランからの分離独立を求める武装勢力と衝突している)、シリアをふくめて、中東のあやういバランスが、さらに崩れる方向に向かうことは避けられない。