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一橋大学大学院社会研究科 内藤正典データルーム
...内藤正典による中東・西欧マンスリーを中心としたニュース解説、「イスラームによるヨーロッパへの挑戦」をテーマのもと COEプロジェクトにおいて制作した、各国政治家へのインタビュー、イスラーム組織の実態などの映像コンテンツの一部を紹介するサイトです。

特集 07トルコ大統領選挙

特集 07トルコ大統領選挙 研究チームによるレポート

世俗主義VSイスラーム?−トルコ政治情勢の構図 (2007年5月11日時点)

■トルコ大統領選挙の経緯

トルコでは2007年5月16日、第10代セゼル大統領の任期満了に伴い、その一ヶ月前の4月16日から大統領選挙が正式にスタートした。大統領選挙のプロセスは、16日から25日までが立候補期間であり、第1回投票は4月27日に行われることとなった。第1、第2回投票では議席の3分の2の選出が必要であり、それで選出されなければ第3回投票に進み、過半数の議席で選出されることとなっている。

4月24日に、立候補すると目されていた与党AKP(公正発展党)のエルドアン現首相は出馬せず、同党のギュル外相兼副首相が立候補することが発表された。4月27日の大統領選挙第1回投票では、野党CHP(共和人民党)のボイコットにより、議席数の3分の2である367議席に届かなかった。

この大統領選挙第1回投票をうけて、野党のCHPは憲法裁判所に大統領選挙の無効を求めて提訴を行った。問題となったのは、367議席いない状態で投票を行ったことだ。そもそも367議席いない状態で投票を行っても大統領が選出されないことは明白である。その場合、投票自体が無効であるとCHPは主張したのだ。

そして5月1日に憲法裁判所から「大統領選挙、第1回投票無効」との判決がでた。これを受けて、大統領選挙のやり直しが決定された。しかし大統領候補者がギュル以外には出ていなかったため、やり直しの選挙を行ったとしても与党AKPだけでは367票を獲得できず、永遠に大統領が選出できないこととなる。そのため、ギュル候補は立候補を取り下げ、AKPは、当初11月に予定されていた総選挙を前倒しで行うことを決定した。

大統領選挙の過程の中で、さらに混迷を深めたのが4月14日と29日に行われた、トルコ市民による大規模なデモである。AKPはイスラーム色の強い政党であり、大統領候補であるギュル外相の夫人もスカーフを着用している。デモに参加した市民は、そのAKPから大統領が選ばれることに抗議し、世俗主義の堅持を訴えた。また、第1回投票の27日の夜に発表された、参謀本部のウェブサイト上に出された軍部の声明は、この問題をさらに深刻化させることとなった。軍部は声明の中で、自らを「世俗主義の絶対的な擁護者」と自認し、大統領選挙の過程を「懸念をもって注視している」と掲載したが、これが軍部の政治への干渉として内外から受け止められた。

こうした混乱状態を打開するために、憲法裁判所の無効判決が出た直後、AKPは憲法改正する動きに出た。憲法改正の内容は、1)大統領を国民投票によって決定すること、2)大統領の任期を現行の7年から再選可能の2期5年に、3)総選挙を現行の5年に1度から、4年に1度への変更、4)被選挙権を30歳から25歳に引き下げる、5)定足数の確定である。

この憲法改正法案は5月7日に第1回投票、5月10日第二回投票が行われ、国会において可決された。しかし、セゼル大統領はこの法案に対して拒否権を行使すると見られており、そうなった場合は国民投票にもつれ込む可能性が濃厚である。

■世俗主義対イスラームなのか?

トルコにおいて、世俗主義とは建国当初から守られてきた国家原則であった。トルコの建国者アタテュルクは、オスマン帝国が列強諸国によって分割された経験から、西欧に負けない近代主義的な国家作りを進めようとした。そうした中で、トルコの世俗主義は、近代化と同一視され、イスラームと政治を厳格に分離する不可侵の国家原則として、今日に至るまで大切に守られてきたのである。事実、世俗主義が危機に瀕したときには、世俗主義の擁護者を自認する軍部が、過去3度にもわたってクーデタを実行し国家を守ってきた。

しかし、そのトルコにおいても、国民を完全に世俗化することはできなかった。1980年代あたりからイスラーム復興が見られるようになり、90年代にはイスラーム政党である福祉党が初めて政権を担った。結局、福祉党政権は軍部の圧力によって崩壊に追い込まれるが、現在の与党AKPは福祉党の後継政党として台頭してきた。そして、2002年の総選挙で大勝利を挙げ、単独政権を樹立するに至ったのである。

そうした経緯があるために、混迷するトルコ情勢の根底には、世俗主義とイスラーム主義の対立があるとする見方が支配的となっている。欧米メディアは、トルコ国旗を掲げ、世俗主義を訴える人々の写真をそろって掲載した。確かに、国家原則である世俗主義を擁護する人々、世俗的な生活を侵されたくないと考える人々は、イスラーム勢力に対して敵対的な態度を見せていた。

だが、問題は、そうした世俗主義者を「開明的」で「近代的」な人々だけだと捉えてよいのだろうかという点にある。一般に、「開明的」で「近代的」な世俗主義者というと、基本的には親西欧であり、トルコも西欧化すべきと考える人々が想起される。「トルコは長らく西に向いてきた」と表現されるのは、そうした人々が政治の中心に立ってきたためである。

しかし、近年になって、世俗を志向しながらも、西欧に対して不信感を抱き、西欧に拠らないトルコ独自の道を模索しようとするナショナリスティックで国家主義的な人々が若年層を中心として増えてきている。彼らも、現実主義的に親西欧的な路線を採ってきたAKPに対して不満を抱いているのである。今回のデモには、伝統的な世俗主義者だけでなく、そうした国家主義的な人々も少なからず参加していたように思われる。

では、なぜ彼らがトルコ国内で台頭し、声を上げるようになったのだろうか?その背景にはEU加盟交渉の頓挫とクルド問題の再燃化が考えられるだろう。

■暗礁に乗り上げるEU加盟交渉

トルコは過去40年以上に渡ってEUへの加盟を目指してきたが、度重なるクーデタやキプロス問題の影響で、EU加盟交渉は順調には進まなかった。一方、EUでは、東西冷戦が終了した頃から、トルコに加盟への道を開くべきとの意見が高まってきた。そのため、トルコは1999年に正式な加盟候補国に承認され、2005年10月3日に加盟交渉を開始するに至った。しかし、加盟交渉が開始される前後から、EUの政治家はトルコの加盟交渉に否定的な態度を見せるようになっていった。そして、2006年12月には、キプロス問題などを理由に、トルコ加盟交渉は一部凍結されてしまった。

その背景には、EU市民の反イスラーム感情がここ数年で強まってきたことが挙げられる。その結果、EUでは2005年夏ごろから、トルコに対して「特権的パートナーシップ」という準加盟国という立場での加盟を求める声が挙がり始めた。この「特権的パートナーシップ」という地位は、従来のEU加盟候補国に対して課されたことがないもので、農業支援や経済開発支援が受けられず、EU域内の移動の自由も認められない。そのため、トルコ側には、期待していた恩恵を享受することができない理不尽なものとして映る。また、アルメニア問題やキプロス承認問題を加盟交渉の際に引き合いに出すなど、最近のEU側対応は、トルコ国内でのEUへの不信を一層強める結果となっている。2006年9月にトルコ国内で行われたアンケート* によると、EU加盟を望まない人は、全体の25.6%で、4年前よりも8パーセント近く増加したという。さらにEUを信頼していないと答えた人は、78.1%にも上った。こうした結果は、トルコ国民がEUに失望し、内向き傾向を急速に強めているということの現われであろう。

では、ヨーロッパに背を向けはじめた人々は、何を見つめているのだろうか。彼らの志向は、一致していない。イスラームに回帰する人々と、ナショナリズムを高めて国家主義的な方向に向かう人々とに分かれているのである。こうした違いは、イスラーム政権であるAKPと国家主義的な人々との間の社会的な亀裂を深めている。大統領選挙での一連の混乱も、両者の間の緊張関係が反映されたと見るべきだろう。

* 2006年10月24日付けmilliyet紙より 統計結果出るートルコの大衆はEUを信頼せず、イランは親友
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html

■クルド問題の再燃化

さらに、トルコ国民とAKPとの溝を深めたのが、クルド問題の深刻化であった。トルコでは、80年代後半から90年代にかけて、クルド労働者党(PKK)という分離独立を目指す組織が、クルド人の多いトルコ南東部で武装闘争を展開していた。PKKは99年に党首のオジャランが逮捕されて以降武装闘争を沈静化させたが、2006年中ごろから武装活動再開の兆しが見られるようになってきた。そして、現在では、トルコ軍・PKK・市民を含めて少なからぬ被害が出るようになっている。

こうした状況を受けて、トルコ国内ではナショナリズムが高揚し、PKKを叩くべきだとの世論が強まっている。とりわけ、PKKの拠点があると目されている北イラクへの攻撃を実行すべきとの意見が広く見られるようになってきた。しかし、イラク情勢が悪化することを懸念するアメリカや、クルドの人権状況に敏感なEUは、トルコが北イラクに侵攻することに対して強硬に反対してきた。AKPもアメリカやEUに配慮して、これまで北イラクに侵攻する決定は出さずにいた。

ここでの問題は、ナショナリズムがクルド問題を契機に急速に高まったことと、AKPが北イラクへの攻撃に慎重な姿勢を示していることである。ナショナリズムを高揚させた人々には、アメリカやEUに配慮するAKPの姿勢が弱腰であるように映る。AKP側も、北イラクに侵攻した場合の外交的リスクを理解しているために、安易に世論に同調しようとはしない。そのため、ナショナリズムの強い国家主義的な傾向をもつ人々と、現実主義的で新欧米的なAKPは互いの溝を深める結果となった。今回の大統領選挙を契機に起きたAKPへの反発にも、この両者の間の亀裂が色濃く反映されていると思われる。

■分岐点を迎えているトルコ

2007年5月2日、憲法裁判所の判決を受けて、エルドアン首相は「議会による大統領選出の道が阻まれた。これは民主主義に向けられた銃弾である。」と述べた。EU加盟候補国になって以来、急速に発展してきたトルコの民主主義は、今回の騒動によって後退していくのではないかと懸念する声が内外で高まっている。憲法原則ともなっている民主主義が今後も堅持されるためには、民主的なプロセスを経て選出された政権や大統領を、あらゆる勢力が納得して受け入れる必要がある。7月22日に行われる総選挙での結果は、今後のトルコの行く末に大きな影響を与えることになるだろう。


(一橋大学大学院社会学研究科修士課程1年
金井宏樹、栗林尚美、澤山明宏、堀彩子)




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