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一橋大学大学院社会研究科 内藤正典データルーム
...内藤正典による中東・西欧マンスリーを中心としたニュース解説、「イスラームによるヨーロッパへの挑戦」をテーマのもとCOEプロジェクトにおいて制作した、各国政治家へのインタビュー、イスラーム組織の実態などの映像コンテンツの一部を紹介するサイトです。
昨年12月、EU首脳会議が、トルコの加盟交渉開始の決定を下したことは、今日の世界におけるイスラーム世界と非イスラーム世界とのあいだの緊張の高まりを考えると、意義深いものである。しかし、最終的には合意に達したものの、トルコの加盟の賛否をめぐっては、各国のあいだに相当な意見の隔たりがあり、EUが分裂するほど激しい議論であったと伝えられた。さらに、各国内においても賛否は分かれている。ドイツはイギリスと並んで強力な支持国だったが、シュレーダー政権の積極姿勢に対して、連邦最大野党CDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)のシュトイパーCSU党首は、来年予定される総選挙で野党側が勝利した場合には、あらゆる手段を講じてトルコ加盟を阻止すると発言した。フランスでも、ジスカール・デスタン元大統領が、トルコ加盟を「ヨーロッパの終焉」と評し、オランダのリベラル政党の元リーダー、ボルケスティンは「ヨーロッパのイスラーム化」を招くと反対した。シラク大統領は加盟交渉に同意は与えたものの、トルコには既存の加盟国とは別のステイタスを与えることを示唆した。
国内世論においても、フランスでは70%近くが反対している。デンマークやオーストリアでも過半数が反対、ドイツでも反対が過半数を上回っている。首脳会議での加盟交渉開始の決定は、西ヨーロッパ各国の世論の動向に反して、ようやく合意にたどり着いたと見ることができる。
トルコの加盟反対の論拠は、(1)トルコの人権状況や民主化状況に問題がある、(2)宗教・文化がヨーロッパと大きく隔たっている、(3)移民の増加への懸念、(4)経済的に負担になる懸念などに大別されるが、フランスの世論調査では、(1)と(2)が高い率を示した。他のEU諸国でも、(2)の宗教的相違がヨーロッパにはなじまないとする見解は多い。
さて、トルコの加盟問題は、結果としてヨーロッパの自己定義に関わる矛盾をあらわにすることになった。この自己定義とは、第一に、ヨーロッパを「キリスト教圏」とするアイデンティティである。第二に。ヨーロッパ諸国が、啓蒙主義の開花と平行して「国家と教会の分離」(政教分離)を実現したことによって、人権や民主主義を確立しえた歴史自体をアイデンティティの根幹にすえる定義である。
ヨーロッパにとっては、同じ歴史の上にあることがらだが、トルコという異質な文明世界の国を仲間とみなすか否かをめぐって、キリスト教をもとにするアイデンティティと、キリスト教会と国家を切り離すことによって得たアイデンティティとを、各国・市民が使い分けて異議を申し立てたことに注目しなければならない。キリスト教圏でないという批判には、人口の大半がムスリムであるトルコは答えようがない。しかし、第二のアイデンティティに関わる議論には、トルコ川には反論があろう。確かに、人権や民主主義の確立とそのための法的整備は、2002年コペンハーゲンでの首脳会議で、加盟交渉開始の条件(コペンハーゲン・クライテリア)としてトルコ側に示された。この二年のあいだに、トルコはコレの条件を目覚しく改善したとして、今回の首脳会議は加盟交渉開始を決定したのである。
人権状況や民主化の問題は、「改善」ないし「進歩」の問題であり、国民国家の枠組みのなかで諸条件をクリアすることが課題である。この点は、イスラームに由来する社会規範にそぐわない場合と、近代的国民国家であるがゆえに生じた問題とに二分される。トルコは中東・イスラーム世界の中で、もっとも厳格な政教分離による世俗主義を採用し、ほぼ唯一、国民国家の想像に成功した国である。あらゆる国民国家がその建設過程において必然的に引き起こしたマイノリティ問題や表現の自由の問題などは、当然、トルコにおいても存在した。それに対してEUが条件を提示し、トルコはこれをクリアしたと評価されたのである。イスラーム的規範はもともと法の体系から相当排除されている。にもかかわらず、その一方で「キリスト教圏ではないから」「イスラーム教徒の国だから」というくらいテリアに含まれないアイデンティティ問題が持ち出されたことは、トルコの世俗主義支持派、民主主義者を落胆させた。
この落胆のさせ方が、実は、今日における西欧世界とイスラーム世界との緊張を高め、安全保障を危機に導くことに注意を喚起したい。多くのムスリムは、行動を世俗化させることはできても、無宗教になるわけではない。本来、聖俗不可分のイスラームにおいて、トルコは、なんとか西欧近代国家との整合性を図ろうとしてきた。西欧世界は、一方で、イスラームの脅威を喧伝しつつ、他方では、ムスリムでありながら世俗主義を取る人々とその国家を阻害しようとしていることになる。
9・11とマドリードのテロ以降、ヨーロッパ市民がイスラームの脅威を懸念するのは当然である。だが、その脅威の源泉とは何であったかをヨーロッパ自身が再考しなければならない。イスラーム世界と西欧世界の機器は、何も武力行使によってのみ引き起こされるわけではない。過去の列強による支配は、今日の中東に深い傷を残したままである。そして、日常世界においてムスリムを疎外しつつゲルならば、彼らはいつしかムスリムであるがゆえに差別され、疎外されるという意識を深め、信徒共同体の危機と認識するにいたる。パレスチナやイラクの現状は、すでにムスリムが共同体存亡の危機と認識するのに十分な証拠を与えている。テロの源泉はまさしくこの点にあるのであって、イスラーム原理主義という固有のイデオロギーによるのではない。
ムスリム女性の「スカーフ問題」は、日常的世界における疎外を象徴している。フランスのように厳格な世俗主義をとる国で、公教育の場で宗教的シンボルの着用を否定するのは当然である。だが、ドイツのように、厳格な政教分離を取らない国でも、いくつかの州でスカーフ着用に制限を加えようとしている。政治家やジャーナリスト、それに学者がこの問題を議論するのは自由である。議論自体がただちに差別的なわけでもない。だが、それがメディアを通じて報じられた瞬間、地下鉄や路上で、侮辱され、テロリストは帰れとムスリム移民の女性がののしられる−それが今日のヨーロッパにおけるもうひとつの現実である。
EU拡大によって、いやおう泣くヨーロッパ市民は、ヨーロッパとは何であるのかという根源的課題と向き合わなければならない。そのときに行われるヨーロッパの新たな自己定義は、隣人であるムスリムとの共生を視野に入れたものになってほしい。衝突と和解を繰り返してきたヨーロッパは、いま、域内においてEU統合というかたちでの和解を達成しつつある。冷戦の終焉によって、東西ヨーロッパのあいだの壁は取り除かれた。拡大したヨーロッパの隣人は、イスラーム世界である。そしてヨーロッパ域内にも、2000万におよぶムスリム移民が生活している。新たな自己定義が、イスラーム世界とのあいだにかかる橋を焼き払うようなものでないことを、私は願ってやまない。