<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
    <channel>
        <title>Global-News</title>
        <link>http://www.global-news.net/article/contents/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2011</copyright>
        <lastBuildDate>Sun, 13 Feb 2011 02:07:59 +0900</lastBuildDate>
        <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
        <docs>http://www.rssboard.org/rss-specification</docs>
        
        <item>
            <title>ムバラク辞任の後に来るもの～これは「革命」か？</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>ムバラク辞任はスレイマンを道連れにしたのか？</strong><br />
エジプト市民の反乱は、ムバラク大統領を退陣に追い込むことに成功した。ところで、直前に副大統領に指名され、ムバラクの辞任を短く伝えたウマル・スレイマン副大統領はどうなったのだろうか？彼自身の声明で、今後権限は軍の最高評議会に移譲されるとあったから、文字通りに受け取るなら、タンタウィ国防相が実権を握るということになる。最高軍事評議会は、大統領を議長とするのだが、現状では大統領のみならず副大統領も不在ということになると、暫定政権の長が誰なのかは、2月12日現在では明らかにされていない。<br />
見方によっては、民衆の望む改革を約束しているとはいえ、軍が実権を掌握したのだから、市民の反乱が結果として軍のクーデタを招き寄せたともとれる。民衆の反乱を過小評価しようというのではないし、民主化の動きを軽視するわけでもない。<br />
世界中のメディアが大々的に伝えているように、民衆の反乱⇒ムバラク独裁政権の打倒⇒革命⇒民主化、なのかどうかは、今もって即断できる状況にないと考えるのである。もう少し踏み込んで言えば、「民衆の反乱」であったことはわかるが、「革命」だったかどうかは分からない。革命というには、その先に体制の変革が来るのかどうか不明なのである。<br />
2月10日（木曜日）「ムバラク大統領即時辞任を拒否」、2月11日（金曜日）「スレイマン副大統領から、ムバラク退陣の声明」、軍が実権を掌握したうえで民衆の要求は叶えられるという声明（類似の声明はその前から伝えられていた）という一連の流れに、どうも腑に落ちないものを感じる。<br />
それは、情報機関の長であるスレイマン副大統領がムバラク大統領と道連れに退陣するにしても、内務省から軍にいたるまで張り巡らされた情報機関の組織が、スレイマン副大統領を切ることは考えにくいからである。表に出たものが、また、裏に引っ込んだということではないだろうか。</p>

<p><strong>軍は何をするか？</strong><br />
民衆の一部は、真の民主化が実現するまでタハリール広場にとどまるとしているので、反乱を起こした人びとの一部には、軍や情報機関による秩序の維持（に名を借りた抑圧）が続くことを懸念しているのは確かである。エジプトの軍部は、他方、アメリカ政府から莫大な資金援助を20年以上にわたって供与されており（ここ十年は約１３億㌦＝ＢＢＣの記事による）、それを棒に振るようなことをするはずがない。そもそもアメリカが、２月上旬にミュンヘンで行われた第４７回ミュンヘン安全保障会議で、わざわざスレイマン副大統領への権限移譲に賛意を表したことを考えるべきである。このとき、イスラエルの強い要請で、欧米諸国はムバラク退陣、スレイマンへの権限移譲という線で合意したはずである。スレイマン副大統領への権限移譲ということは、すなわち、軍もまたアメリカ・イスラエルとの友好関係、ハマスに対する厳しい取り締まり（ガザの封鎖に協力するということ）について、従前の政策を堅持するということである。<br />
であるとすれば、エジプトの政権中枢における権力争いから、ムバラクと共に「アメリカが承認したはずの」スレイマンが退場するというのは俄かには信じがたい。<br />
結局、民衆が軍の実権掌握（つまりはクーデタ）を招き寄せた（軍に反抗して引き起こした<br />
のではない）という奇妙な構図が浮かび上がる。<br />
エジプトの国軍の場合、過去の栄光（多くは負け戦だが、第４次中東戦争では機先を制した）から、武力は外に向けるもので国内には向けない、という国民側の信頼の上にある。だからこそ、ムバラクを「敵」とするなかで、軍は「味方」という妙な構図ができあがった。これがシリアやイランの軍なら、速やかに叛徒を武力鎮圧したであろう。しかし、先に指摘したように、エジプト国軍が、アメリカやイスラエルの意図で組織と権益を維持していることに疑いの余地はない。<br />
この権力と権益とを削減しないで民主化に踏み出せるはずはない。軍は、ムバラク政権での圧政の主役ではなかったが、期せずして、今後は主役になる可能性が高い。軍が、民意を尊重して、民主化を進めることなど、ありえないからである。仮に民主化へのおぜん立てを軍の最高評議会がしてくれるとしても、それは軍の機構がもつ特権を侵犯しない限りにおいて、の話である。ここが今後の展開をみるうえで、もっとも懸念される点である。<br />
民主化が進展するとは、当然、複数政党制になり、政党の結党にも制約が課されない方向に進むことを意味する。そうなれば、イスラエルとの友好関係をこのままにして良いか、当然、民意のなかには反対論が強まるはずである。特に、イスラーム主義勢力が登場すれば（２００７年の国民投票で禁じているので、これを解除すればの話だが）、パレスチナの現状に対してイスラエルに批判を強めることになる。<br />
アメリカから莫大な支援を得ている軍が、その支援を捨ててまでイスラエルに敵対して、民意を尊重することは、ありえないと言ってもよいくらい可能性が低い。民主化に進むのであれば、そこまで踏む込みこまざるをえないのだが、そこには多大の困難がある。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2011/02/post-24.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2011/02/post-24.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sun, 13 Feb 2011 02:07:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ムバラク政権打倒とエジプト民主化は失敗する？</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>どうなったら民主化は成功したことになるのか？</strong><br />
　ムバラク大統領を権力の座から引き降ろしたとしても、エジプトにとって民主化は程遠い。仮に政権移譲が、スレイマン副大統領の手に移るなら、今以上にエジプトの民主化は危機に瀕するだろう。オマル・スレイマンは、2000年代以前はあまり氏名が公にされることはなかったが、情報機関の長を務めてきた人物であり、国内のイスラーム主義勢力をはじめ、反体制勢力を封じ込める、あるいは抹殺することに責任を負っていたはずである。今回の一連の騒擾の過程で、ムバラク大統領が永らく空席だった副大統領職にスレイマン氏を任命したということは、今後、仮に権力委譲が行われても、厳しい言論統制や反体制活動への弾圧は継続することを宣言したに等しい。<br />
　当然のことながら、もし、エジプト市民が民主化を望むなら、スレイマン副大統領への権力委譲など論外である。しかし、アメリカやイスラエルは、老練な（75歳を超えている）スレイマン氏に権力を委譲した後、野党勢力も参加する統治機構を望んでいるように報道されている。どこまで真意かは不明だが、もし、オバマ政権が本気でそのような政治プロセスを期待しているのなら、それはイスラエルにとってもっとも望ましい形態ではあるが、エジプト市民にとっても、パレスチナにとっても、何のプラスにもならないばかりか、かえって事態を悪化させる変革ということになろう。<br />
　エジプトに限らず、中東のアラブ諸国にとって民主化最大の障害は情報警察機構である。今回、取材の為にエジプトに入ったメディアには「軍」が重要に見えているかもしれないが、とにかく始末が悪いのは、情報機関である。始末が悪いというのは、民主化にとっての話であり、大混乱に陥らせないために危険人物を一掃するのが情報警察の任務だから、統治にとっては必要不可欠な存在でもある。したがって、その長が副大統領になって、暫定的に権力をムバラクから委譲されるというのは、ムバラクにとって危険な勢力をもう一度クリーンアップするということであり、ムバラクの（あと何年続くか知らないが）安楽な老後を担保してやるだけのことである。</p>

<p><strong>穏健なイスラーム原理主義組織ムスリム同胞団？</strong><br />
　日本の報道で、もっとも奇妙な表現が、最大野党勢力とされるムスリム同胞団に対する「穏健なイスラーム原理主義」というレッテルだった。実際、ある民放局がテロップで使っていた。見ていて思わず笑ってしまったが、いったいどういう組織なのか？イスラーム原理主義組織というのは、暴力で政権奪取を志向するイスラーム主義の組織だろう。それが穏健だというのは矛盾である。このあたりに、ムスリム同胞団の性格を日本のメディアがさっぱり把握していないことが表れている。ムスリム同胞団そのものは、実はエジプトだけでなく各国にある。あるいはあった。同胞団の研究は、日本では、日本大学の横田貴之准教授がほぼ唯一の専門家なので、詳細は横田氏の研究を参照されたい。シリアにもムスリム同胞団はあったが、1980年代の初頭に当時のハーフィズ・アサド大統領政権下で、きれいに一掃された。アサド政権というのは、強権的に政敵を抹殺することにかけては実にきれいな仕事をする。いったい何人消したかはわからないが、その後、ほとんど政治問題にならなかったところをみると、よほど見事に消したのだろう。一方、エジプトの同胞団は、だんだん骨を抜かれて生き残った。先鋭化してムバラク政権に抵抗した人々は、やはり消されていったか、アイマン・ザワヒリのように世界に散らばって武装闘争を続けている。日本人も多くが犠牲になった1997年のルクソールでの観光客殺害事件の首謀者たちも、元はムスリム同胞団と近い関係にあったが、その後、牙を抜かれて体制内改革を志向するようになった同胞団とは袂を分かった勢力であった。いま、テレビなどに登場するムスリム同胞団の面々を見ればすぐにわかるが、ネクタイを締めてスーツを着ている。少なくとも、イスラーム主義にたって政権奪取を図るような人たちは、ああいう姿では絶対に登場しない。マオカラーのシャツにジャケットスタイル（イランの知識人に多い）か、頭にターバンを載せてくる。<br />
　あの姿をみただけで、現在のエジプトのムスリム同胞団が、いかに既存の体制内で地歩を固めたがっているかがわかる。そこで、彼らが、新たにエジプトの政党として認知されるかどうかが次の課題となる。入れば、民主化には一定の進展はありうる。入らなければ、エジプトは何も変わらない。<br />
<strong>世俗勢力に期待しても民主化は進まない</strong><br />
　いい加減、欧米や日本も気づくべきだが、ムスリムがマジョリティを占めている社会で、民主化、あるいは政治的なプロセスとしての民主主義なるものを実現したいのならば、イスラーム主義に基づく勢力を排除できない。欧米諸国の期待に反して、世俗的な政治勢力だけで国を運営することは、もはや不可能なのである。その際、もう一つ、理解しておくべきことは、イスラーム主義勢力（イスラームによる統治を望む勢力）を「穏健」と「過激」に分類しても意味がないことである。この線引きは、非ムスリムが、自分たちの諸国家体制にとって都合の良い「穏健派」の伸長を期待しているために、しばしばジャーナリズムにも登場するが、ムスリムにとってはまったく意味がない。もともと、「イスラーム原理主義」の用語でさえ、イラン革命で慌てたアメリカで生まれたのであって、ムスリムが自分で原理主義を名乗ったのではない。過激派に原理主義のレッテルを貼ったのはアメリカである。ムスリムにとっては、イスラーム的に正しい統治を望んでいるだけであって、それが平和裏に行われる可能性が担保されているなら過激な武装闘争はしないし、弾圧に次ぐ弾圧で事態を改善できなければ、前任者のサダトが暗殺されたように、暴力的に退場させることもありうる。</p>

<p><strong>民主化デモの失敗？</strong><br />
　これまでの状況をみるかぎり、今回の民主化要求は失敗するだろう。ムバラクへの嫌気は消えないから、統治にとってマイナスになるムバラク自身は退場を余儀なくされるだろうが、穏便な権力委譲のあいだに、彼とその家族は私財を安全な場所に移動させて余生を送る算段をつけようとするはずである。スレイマン副大統領が実権を掌握すると、場合によってはムバラク自身が危うくなるかもしれない。それは、情報機関、軍、警察など各種の暴力装置をどこまでスレイマン自身が掌握するかにかかっている。<br />
　欧米から一定の期待を集めたエルバラダイのような人物には、到底、情報機関や軍を掌握することはできない。よく言われるように、エジプトの統治には、一種のファラオ的独裁者がいないと、どうにも機能しない部分がある。もちろん、そういうものを一掃してまっさらな民主化を構想することはできるだろうが、あまりに非現実的といわざるを得ないのである。エルバラダイの市民への呼びかけは、英語とアラビア語双方で聞いたが、到底、ファラオ的カリスマ性がない。あんなに、つっかえつっかえ喋る人物はエジプトの統治者には向かない。仮に彼が外圧で要職についても、統治はできないだろう。<br />
　今回のデモが、わりあいと派手に実現できたのは、各種の暴力装置が、状況把握と、今後の進路を見極めるために、民衆を泳がせたからにすぎない。それに、民衆には、体制変革にとことんつきあうほどの熱意はあるまい。一言で言えば、飽きっぽいのである。face bookやtwitterのようなSNSは、騒擾を惹起させるには有効なツールだが、騒擾の先のヴィジョンをつくれる装置ではない。そこに今回の民主化デモの限界がある。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2011/02/post-11.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2011/02/post-11.html</guid>
            
            
            <pubDate>Mon, 07 Feb 2011 01:17:08 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>劉氏のノーベル平和賞が語るもの</title>
            <description><![CDATA[<p>北京のシンボル、故宮の表門である天安門の下に私は立っていた。目の前の天安門広場一帯で展開する光景を見て、足もとがぐらぐらと揺れた。もちろんそれは錯覚である。恐怖と興奮がないまぜになって膝ががくがくとし、それで大地が揺れ動いたように感じただけである。<br />
目にしたのは１９８９年６月４日未明に起きた、あの学生らによる民主化要求運動を人民解放軍が武力鎮圧した天安門事件だった。今回、ノーベル平和賞を受賞した中国の民主化活動家、劉暁波も２日前から広場でハンストに入って、その渦中にいた。<br />
私から３０㍍ほど離れたところで装甲車がバリケードに進路を阻まれ立ち往生した。１０数人の群衆が取り囲み、棒きれや竹ザオでたたく。誰かが火をつけたらしい。内部の温度が上昇したのか、装甲車のハッチが開き、兵士らが飛び出してきた。群衆が追いかけ、兵士は頭を押さえて逃げ惑う。ふと広場西南側の人民大会堂に目をやると、もう一台、装甲車がすでにもうもうと煙を上げて炎上していた。やがて修羅場と化す広場の、それが序幕だった。<br />
それだけを見て私は現場を離れた。当時は雑誌「アエラ」の特派員として東京から出張で来ていた。北京では携帯電話サービスが始まって間もなくだったが、私は持っていなかった。まずは「武力行使始まる」の第一報を近くのホテル・北京飯店からと考えて離脱したのである。<br />
でも、その後はもう広場付近には戻れなかった。ホテル前には外国人記者や市民が集まっていたが、我々の頭上を特殊弾が唸りを上げてかすめる。ホテル正面玄関のガラスが被弾して何枚も割れた。間もなく広場方向からシャツを血で染めた負傷者が続々と逃げてきた。生死不詳の若者を戸板に乗せて病院へ急ぐ学生らの姿も。威かく弾なのか、銃声が続く一方で、走り回る救急車のサイレンも響き渡った。<br />
広場にはハンスト学生や同調する劉暁波ら知識人や労働者、地方からやってきた学生らがまだまだたくさん残っていたはずだ。そこにキャタピラーをつけた鉄の塊が情け容赦なく襲いかかり、銃弾が放たれ、逃げ遅れて犠牲になった者が数多く出ている......。<br />
絶対にそうだろうと思える事態だった。が、実際はそうではなかった。<br />
広場の学生のほとんどが武力鎮圧の直前に自主的に広場を離れ、広場の上での流血の事態は基本的に回避されたのである。この「無血退場」の実現に奔走した男たちがいた。その１人が劉暁波だった。<br />
当時、劉は北京師範大学講師で新進の文芸評論家として若い世代の人気者だった。米国に滞在中に自分が属する大学の学生たちがリーダーとなった民主化運動が勃発。急きょ帰国し、兄貴分として運動を支援していたのだ。そして弾圧２日前に３人の仲間と「我々は死を求めるのではない。真の生を求めるのだ」とした宣言を発し、ハンストに入っていたのだ。そして事件後、最初に逮捕された有名知識人の第１号となった。<br />
　出獄後、しばらく雌伏した彼が次に注目されたのは２００８年１２月のことだった。ネットを通じて発表された大胆な政治改革案「０８憲章」の起草者としてだった。<br />
　「憲章」は共産党の一党独裁体制を真っ向から批判し、三権分立、多党制、人権保障、言論・信仰の自由など１９項目に主張をならべたもので、学者や弁護士ら３０３名の署名とともに公表されたも。起草作業は１年がかりで秘密裏に行われ、世界人権宣言６０周年、中国の建国６０周年に合わせて呼びかけられた。インパクトは大きく、賛同署名は間もなく１万人前後に達した。<br />
　だが内容からして胡錦濤指導部が容認できるものではなかった。間もなく劉は「中心的な起草者」として拘束、起訴され、国家政権転覆扇動罪で懲役１１年の有罪判決が下り、入獄した。<br />
「中国国民は、自由・平等・人権が人類共通の普遍的価値であることを認識した」。劉が執筆したという「憲章」の基本理念はこう主張する。劉がわが身を犠牲にしてまで訴え続けてきた基本理念を、ノルウェーのノーベル平和賞委員会は高く評価したのであろう。<br />
　２１年前の天安門事件は、私も目撃したように確かに「武力」によって一掃された。だがそれは大地の表に生えた草が草刈り機で刈り取られただけで、草の根は土中にしっかりと残った。根がある限り、春が来れば草は芽を出すだろう。中国の民主化運動は、どういう形にせよ、これからも続くことは間違いない。<br />
他方で任期が残すところ２年となった胡錦濤政権が大胆な政治改革に踏み切る可能性はますます小さい。劉暁波の今回の賞も「ノーベル平和賞は西側の政治的道具だ」と黙殺。「共産党がすべてを指導する」という体制への批判は一切許さないという硬い姿勢を堅持する。<br />
世界第２の経済大国となった中国の「柔らかい経済」と「硬い政治」のアンバランスは、すでに限界まで来ている。　　　　　　　　　　　　　（止）<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2010/10/post-23.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2010/10/post-23.html</guid>
            
            
            <pubDate>Mon, 11 Oct 2010 18:40:53 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「尖閣」にちらつく米国の影</title>
            <description><![CDATA[<p><br />
　海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で東シナ海に浮かぶ５つの小島<br />
の存在が再びクローズアップされた。事件をめぐる両国の対応には様々な<br />
声が飛び交っているが、それはしばらく置くとして、この尖閣諸島を実効<br />
支配する日本政府は「古来、日本の固有の領土であった」「少なくとも１<br />
２０年余りの間、中国は実効支配したことはない」「したがって領土問題<br />
は存在しないし、今後もあり得ない」との立場を崩さない。<br />
　だが他方で日本政府は韓国が実効支配する竹島とロシアが抑える北方四<br />
島では逆に「領土問題」の存在をアピールする。それぞれの問題には固有<br />
の歴史的背景、経緯があり、単純な比較は禁物ではある。しかし、この日<br />
本政府の二つの立場に疑問の余地がまったくないのか。尖閣問題が今後も<br />
外交問題として争点化する可能性はないかといえば、そうとは言い切れな<br />
いものがある。<br />
　中国側には尖閣問題を複雑化させた背景には、戦後の米軍が沖縄を占領下<br />
に置いた際、尖閣諸島も支配下に組み入れたことが影響したとの見方がある<br />
という。<br />
　第２次世界大戦に敗れた日本はポツダム宣言を受諾した。同宣言には「カ<br />
イロ宣言の条項は履行せらるべく」とうたわれていた。結果、日本はカイロ<br />
宣言に基づき、日清戦争で清国から割譲された台湾と澎湖諸島などの領有を<br />
放棄した。ここで注意しなければならないのは、日本政府は放棄しただけで、<br />
放棄後の台湾などの帰属先には関与していないとの立場であること。そして<br />
放棄した領土に固有の領土であった尖閣諸島は含まれていないとの立場であ<br />
る点だ。だから沖縄とともに米軍占領下に組み入れられたと解釈する。<br />
　１９４３年１１月のカイロ宣言の当事国は、英米２カ国と中華人民共和国<br />
の成立前の中華民国であったが、現在、中国政府は釣魚島（尖閣諸島の中国<br />
名）はもともと（中国の一部である）台湾に属していたと主張。日本のポツ<br />
ダム宣言受諾で釣魚島は台湾とともに祖国に戻ってきたと解釈する。ここが<br />
日本政府と見解を異にする点だ。<br />
　第２次大戦後に尖閣諸島が沖縄と一体で米軍支配下に組み入れられた当時<br />
はすでに冷戦体制下にあり、米国という後ろ盾を必要とした台湾の国民党政<br />
府は異議申し立てをした形跡はないようだ。中国から声が上がったとも聞か<br />
ない。<br />
　その後久しく話題にならなかった尖閣諸島の存在がクローズアップされた<br />
のは１９６０年代末のことだ。その理由を日本のメディアの多くは国連調査<br />
によって尖閣諸島周辺の海底に石油資源の埋蔵が確認されたためだ解説する。<br />
中国側もこの点に目したが、ある意味でそれ以上に注目していたのは沖縄返<br />
還交渉で日米両国が尖閣諸島を沖縄の一部として処理した点だったかもしれ<br />
ない。<br />
　では尖閣諸島を沖縄の一部として扱った米国の意図はどこにあったのか。<br />
将来のアジア支配の布石として、あえて日中間に「尖閣という火種」を作っ<br />
たとの見方が中国側には根強くあるという。果たしてそうだったのか。意図<br />
したかどうかは別にして、結果的には日中関係に刺さったトゲとなったのは、<br />
今回の事態でも明らかである。<br />
　その後の日中間では７８年に締結された日中平和友好条約交渉の際、中国<br />
の最高実力者、鄧小平の提案で尖閣問題は棚上げされていた。中国側には経<br />
済建設のためには日本から協力を取り付ける必要があったからだろう。<br />
　ところが中国が高度成長をとげて力をつけるにつれ事情は変化し始めた。<br />
中国は東シナ海の漁業資源や海底資源の確保に目を向けるようになり、９２<br />
年に制定した領海法で尖閣諸島を領土として明記。そして今やスプラトリー<br />
諸島をめぐって係争がある南シナ海だけでなく、東シナ海の支配権確立を台<br />
湾の統一実現やチベット自治区、新疆ウイグル自治区の独立阻止とともに４<br />
つ目の「核心的利益」に格上げし、海洋進出をにらみ海軍力の増強をすすめ<br />
ている。<br />
　今回の尖閣問題の再燃に米国政府は日中両国の対話を求めて「静観」を決め<br />
込む。今回の日米外相会談ではクリントン国務長官が尖閣諸島が日米安保条約<br />
の対象であると明言したようだが、このところ対中配慮もあって「あいまい戦<br />
略」に徹しているようにも見える。<br />
　今年、中国はＧＤＰで日本を追い越し、日中逆転が確実とされる。日本は質<br />
的な面での優位はなおしばらく保てるかもしれないが、量的な面では今後ます<br />
ます中国優位に傾くだろう。こうした地政学的ともいえる情勢変化の中で、小<br />
さな島の問題がますます複雑化する可能性は小さくないと覚悟せねばなるまい。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（止）　<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-22.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-22.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 28 Sep 2010 16:40:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>イラン経済制裁の行方</title>
            <description><![CDATA[<p>						<br />
　今晩、ラマダーン月（断食）が明ける。（これを書いているのは、2010年9月９日である。）イスラーム教徒にとっては、1か月間の断食（ラマダ－ン）から解放されて「イード・ル・フィトル」（断食明けの祭典、略してイード）というお祭り騒ぎがおこる晩である。今年は、ラマダーン月のちょうど真ん中の2週間をイランとトルコで過ごした。1か月断食するといっても、ご存じのように、日の出から日没までものを食べない、飲まないだけで、日没後はこれぞとばかりによく食べる。イランではお酒はあまり家でも飲まないが、1日の終わりには、日が暮れるとナツメヤシの実に紅茶で最初におなかをならして、そのあと果物、ヨーグルトスープ、お菓子などもりだくさんの食べ物が次から次へと出てくる。毎晩のように親戚や友達が集まって、ドンチャン騒ぎする。テヘランでは、夜中の2時頃まで、大通りはにぎやかだった。宿泊していたホテルでも、騒いでいる若者たちが毎晩大声を出すので夜中に目が覚めた。1日の断食が明けたことをお祝いすると言って、みんなでよく集まるのだが、断食をせず日中普通に食べている人達も当然パーティーに出て、よく食べている。<br />
　断食といっても、病人、妊婦、子ども、高齢者、旅行者など断食を免除される例外事項がコーランにはあるので、断食は結局自発的なものとなる。今日はちょっと体調が悪いと本人が思えばそれで「病人」になるからである。イランにもトルコにもキリスト教徒はいる。キリスト教徒には断食月は関係ない。<br />
　断食月は、イランでは日中レストランは閉店で、私のような旅行者はどうすればよいのかと思っていると、ファーストフードのサンドイッチだけは日中でもありつけた。といっても、サンドイッチもトマト、レタス、ビーフハムなど調理のいらない材料をはさんだだけのシンプルなサンドイッチばかりである。「日中は店屋では火を使った料理はしてはいけない」という政府からのお達しがあったからだと現地で聞いた。逆にいえば、火を使わなければ何を売ってもよいのである。断食をしない人やしなくてよい人が困らないように、数は少ないがこうした店は空いている。イスラームは実践レベルでは柔軟なのである。</p>

<p>　イランからトルコに行ってまず思ったことは、「トルコはイランと違ってモスクの数が多く、アザーン（礼拝を告げる合図）の声がやたらと大きい」ということだった。トルコは政教分離でイランはイスラーム共和国体制なので、本当なら反対のはずなのだが、逆転している。トルコは公正発展党というイスラーム政党が政権について以来、この数年特にモスクの建築に力を入れているようである。トルコ人の研究者に聞いたら、トルコでは今「1000人にひとつのモスク」を理想として、続々とモスク建築をしているということであった。民衆レベルのイスラームが着々と浸透していると思えばよいのだろうか。あるいは、そうなるとよいという思いが政府にあるのだろうか。<br />
　トルコで断食しているイスラーム教徒がどのくらいいるのかわからなかったが、アンカラ、イスタンブールのような大都市では、日中もレストランは空いていて、日中も食べ物には苦労しない。また、日没にならないうちから、レストランでイェニラクというアニス酒を飲む人も多く、やはりこのあたりがイランと違うところかなと思う。イランでは、自家製のワインをつくっている人もいると聞くが、さすがに、人目につくところでは絶対にお酒を飲むことはない。家でこっそりというのはあるかもしれないが。</p>

<p>　イランと言えば、核開発疑惑問題が2002年から浮上し、国連の安全保障理事会で6月に6回目の経済制裁が決議された国である。今年9月上旬に日本政府が決定した追加制裁は、は、特にイランの金融機関との取引制限を強化するもので、金融制裁と呼ばれている。イランがウラン濃縮活動を継続していることに対しての圧力を強めるのが目的である。核開発に関与していると思われる88の団体、24個人、それに15の金融機関を、資産凍結の対象として追加した。貿易保険の適用についても、中長期については新規の受付を行わないとしている。イランが石油を輸出してもその決済がユーロでできないため、ヨーロッパへの石油輸出は最近半減したと言われている。こうした状態が続けば、金融制裁の影響はこれまで以上に目に見えておこっているだろう、というのが多くの識者の見方である。テヘランに事務所を持っている日本の商社や会社関係者は、「半年から1年のあいだに、イランは経済的にたいへんな状況に陥る」と予測していた。果してそうなのだろうか。<br />
　テヘランからアンカラ行きの飛行機は、ほぼ満席で、トルコに投資しているビジネスマンやその家族たちがトルコに遊びに行くのである。経済制裁されても、イラン人ビジネスマンはこれまでもドバイで商売をしてきた。ドバイに加え、今はトルコにも投資されている。ドバイやトルコに投資されている会社は、もはやイラン人の名義になっているとは限らないという。取引禁止の会社の数が経済制裁でいくら数が増えようとも、グローバル化経済の進展する中、イランの会社は姿や形を変えてビジネスを続ける以上、制裁対象とする会社の選定は追いつかないように見える。ユーロで決済できないヨーロッパの会社もアラブ首長国連邦の通貨であるディルハムに変え始めた。イラン側の要望にEU諸国も応じたのである。<br />
　昨年の大統領選挙で、選挙の不正を訴えて抗議行動に出た改革派の「緑の運動」は、大統領派のデモ鎮圧と粛清に逢い、今は影を潜めている。それは今年の2月に行ったときと変わらないが、違うのは新聞の数がまた増えていたという点である。1999年7月のテヘラン大学の学生寮での騒乱以来、言論・出版の自由に規制がかかってきたことは確かである。2009年の大統選後のデモ鎮圧のあとも、改革派系の新聞も数が少なくなっていた。半年前には12紙程度だった新聞の数が、今回はスポーツ紙を除いた普通の新聞が20紙に増えていた。いったん発禁処分になった新聞も、改革派系の新聞が同じ名前でも編集者が変わったり、別の新聞名で同じ編集者が新聞を発行したりしているのである。体制側の新聞の取り締まりも、傍目にはいたちごっこに見える。それは、米国主導の経済制裁にイランの経済界がどのように手をかえ品を換え、経済封鎖から活路を見出して対応しているか、というのと似ている。夏休みでかつラマダーンというほとんど休止中のようなイランは、学生たちの反体制運動も何もなく、日中はどこに行っても極めて静かで、きわめて平穏な雰囲気に包まれていた。<br />
　経済制裁の影響はどうなのかと気になって、グランドバザール（大バザール）にも行ってみた。グランドバザールは、何千軒もの店舗が延々と続き、迷路のようである。若干お客の少ないのが目立ったのが、絨毯街であったが、どの店も置場がないほどものにあふれ、買い物客にあふれている。ラマダーンで家にお客さんが毎晩来るので、それに必要なものをいろいろと買っているようすである。またイラン人は、これもイラン人に聞いた話だが、後先をあまり考えずに、とにかくお金を使ってしまう人も多いそうである。貯金するという発想があまりないらしく、お金が手元にあればすぐにものを買うと言われている。そうした性向が日本にもあれば、もっと日本経済は内需が回復するかもしれない。<br />
　バザールに行っていつも思うことがある。それは、イランという国には、「他の国にあってこの国にはないというようなことが何もない」という単純な事実である。狭い日本は、在庫をいかに減らすかというのも経済効率をあげる一つの策となっている。イランには、ヨーロッパのいかなるブランド品も揃っている。ヨーロッパに行かなくても、最新のファッションを身につけることはできる。日本で売っていないようなドイツ製の最新のフードプロセッサーも、複数のモデルがそろっている。日本では、生活の衣食住に必要なものの中に中国製が増え、国産品が年々減っている。イランでは、中国製も入ってきてはいるが、多くが国産である。また、年々特にぜいたく品をはじめ輸入品が増えているため、「外貨が無駄遣いされている。もっと政府は輸入規制をすべきだ」などという声が新聞記事になったりしている。こうしたイランの日常風景に見えるのは、中間層がこの10年館大幅に拡大し、少し高価な輸入品でも買えるほど、人々の暮らしは豊かになっているという事実である。これだけ経済制裁が課されてきても、欧米や日本のような不景気の影は見えない。そしていつも思うことだが、イランにはホームレスはいない。高値で推移する石油収入で、国家の底辺にいる国民にも厚い生活保障をしているからである。<br />
　イランに対する金融制裁は徐々には効いてくるだろう。ただそれが、半年や1年というような短期でおこるとは考えにくい。インドや中国のような新興国は、米国の主導する対イラン経済制裁・金融制裁には、あまり耳を傾けることもない。前述のように、イラン人が隣のトルコで投資した会社は、トルコ経済が好景気で続いている中、確実に利益を上げているという。<br />
　今のところ、米国の対イラン政策は、経済制裁の強化により、イランのウラン濃縮活動への圧力を強めることにある。しかし、経済制裁のさらなる強化をしたところで、イランがウラン濃縮政策を変えるとは思えない。隣のパキスタン、それにインド、少し離れてイスラエルも、核不拡散防止条約（NPT）には加盟せずに、核開発を着々と進めている。これら3国が核開発をしても何ら問題なく、NPTの加盟国のなかでイランだけは核エネルギーの開発も含め、ウラン濃縮をやめるようにと欧米、日本が促したところで、説得力はない。<br />
　イランの核開発（疑惑）8年経過している。なぜこんなに長く続くのだろうか。2006年3月に日本で公開された映画「シリアナ」の中で出てきた「イラン危機」」に関する欧米の石油会社の幹部のセリフを思い出す。「核開発問題」が続く限り、石油は高値で推移し、われわれ石油会社は富を増やし続ける」と。この映画の陰謀説のように、本当に石油会社の利権が、この問題に絡んでいるかどうかは疑問である。ただ事実として、イランの核開発（疑惑）問題に、当面出口は見えない。問題なのは、イランの核問題が危機的だと報道され続けている現実である。学問的にそこに迫ることは至難の業であり、それに踏み込むつもはない。しかし、この8年間、本当に「危機的状態」だったのだろうか。イラン報道のあり方と経済制裁そのものの意義を再思考する必要があるのではないか。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（2010年9月９日）</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-21.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-21.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 14 Sep 2010 17:46:45 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>トルコ、憲法改正のための国民投票</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>「9月12日」の象徴的意味</strong></p>

<p>9月12日、トルコにおいて憲法改正のための国民投票が実施され、賛成58％、反対42％で与党（公正・発展党AKP)が提案した憲法改正パッケージは国民の同意を得た。</p>

<p>1980年9月12日、トルコでは3度目の軍事クーデタが発生した。それから30年めの節目にあたるその日に、国民投票は実施された。きわめて象徴的なことだが、もちろん政権側は、あえてその日に、国民投票をぶつけたのである。現在の憲法は、1980年のクーデタ後、82年に軍政下で制定された。いわばクーデタを起こした「軍の憲法」である。それを「市民の憲法」に変えることが政権の狙いであり、そのためにあえてクーデタ勃発の日という象徴的な日を選んで国民投票をおこない、民意を問うたのである。</p>

<p><strong>憲法改正の内容</strong></p>

<p>今回の憲法改正は、すべての条文に対する変更ではない。その意味では、1982年制定の現憲法を全面的に否定するものではない。トルコ共和国の基本原理である「国民国家」「トルコ人の国であるという民族主義」「世俗主義」「国土の絶対不可分」など、主要な条項であり、改正不可とされる条項については変更を加えていない。もちろん改正不可を明示している第4条も改正対象ではない。</p>

<p>改正の内容は主に以下の3点に集約できる。</p>

<p>１．労働組合の権利拡大、こどもや高齢者など弱者に対するaffirmative action(積極的差別是正策）の保証。これは、憲法の基本精神である平等性の担保を、現実に合わせて追加したものである。</p>

<p>２．軍の政治干渉を不可能かつ憲法違反とした点。市民が軍の法廷で裁かれることはなくなった。逆に、従来、軍人の違法行為は軍の法廷で裁かれる規定だったが、その条項は廃止され、軍人といえども、憲法上の原則、国家の安全保障などに対する罪は、一般裁判所で裁かれることになった。有体に言えば、クーデタ計画が露見した場合には、一般の裁判所が管轄権をもち、一切、軍事法廷にはタッチさせないというのである。また、1980年9月12日のクーデタの首謀者やその際に暴力を行使した軍人等に対して、従来の憲法では免責を定めていたが、今回の国民投票では、免責特権の剥奪を決めた。</p>

<p>３．司法の独立を弱体化させる。憲法裁判所をはじめ、独立した司法機関の裁判官に、国会という立法府が選任した裁判官を3人加えることができるようになる。また、裁判所と検察のトップが参加する「裁判官・検察官高等評議会(HSYK)」に法務大臣、法務次官に加え、行政官が参加する方向に道を開いた。</p>

<p><strong>憲法改正で、トルコはどこに向かうのか？</strong></p>

<p>以上の主たる改正点をふまえて、今回の国民投票の意義を考えると、軍をシビリアン･コントロールに服させ、政治に介入できないようにした点が大きな意味を持つ。建国の主役であり、建国の父アタテュルクの理念を継承するがゆえに、力ずくで「苦言」を呈してきた軍部は、その役割を終えた。今後の活動は国防問題に限定されることになる。</p>

<p>一方、もう一つの司法の独立の弱体化、司法への政治的影響の増大は、イスラーム色を政権が前面に押し出す際に有効となる。従来、大学でのスカーフ着用解禁を図るたびに、憲法裁判所で違憲判決が出され、場合によると、提案した政党そのものが解党訴訟を起こされてきたのだが、今後、徐々に、政治任用される憲法裁判所判事が増えることによって、「民意を受けた」政権の決定に、憲法裁判所が異を唱えることは難しくなる。</p>

<p>以上の2点を総合すると、建国の父の理念によって枠組みを固定し、強烈なトルコ民族意識の再生産によって維持してきたトルコ共和国の「国民国家」としての性格は変容を余儀なくされることになろう。与党中枢部の将来へのヴィジョンは、おそらく「国民国家」の硬い殻を破ることにあると私は考えている。西欧型の国民国家は程度の差こそあれ、いずれも宗教と国家とを分離している。イスラームの場合、ヴァチカンのような制度化された教会制度を持たないから、西欧諸国でいう「教会と国家の分離」にはならない。ムスリムからなる国家で世俗主義を実現するとすれば、そこで国家から分離すべきは、民意のなかにも潜在的に存在し続けるイスラーム法の統治への要求を「遮断」することであった。それをイスラーム圏で唯一87年にわたって行ってきたトルコ共和国は、いま、「遮断」のための暴力的装置としての軍を政治から退場させたのである。それも、民意によって。</p>

<p>繰り返しになるが、改正不可条項が残っている以上、トルコ共和国の基本的性格が短期のうちに変わることはない。トルコ人の国家としての国民国家性も、世俗主義も、当面は維持される。しかしながら、公正・発展党政権でも、あるいはイスラーム国家を志向する他の政治勢力が台頭した場合でも、民意が再イスラーム化を支持するかぎり、人が定めた憲法を至高の法とする国家像の変更は避けられないのである。世界中のムスリム諸国、とりわけアラブ諸国が、この点をいつまでも曖昧にし、なんとなく西欧型の国民国家を装いながら、内部においてイスラーム国家を志向する勢力を弾圧してきたことを考えると、トルコの変化は、きわめて西欧的な法治国家の形式にのっとって、イスラーム化を実現するという点で正攻法である。</p>

<p><strong>ヨーロッパ諸国の誤認、オバマ政権の期待</strong></p>

<p>今回の国民投票の結果について、ヨーロッパ諸国の反応が、おおむね軍の力を減じた点のみに集中しているのは誤りである。EU諸国の多くは、いまだに、トルコがEU加盟を望み、そのためにEUの要求する民主化を受け入れたと解釈しているが、甚だ傲慢な誤認である。トルコ政府は、EU加盟交渉を「権利」として粛々と進めているにすぎず、もはや世俗主義政党の政権のように、「いつかはヨーロッパに入りたい」というコンプレックスなど微塵もない。むしろ、かつてのオスマン帝国がそうであったように、ヨーロッパの内部に地歩を固めるイスラーム国家になりたいのであって、間違っても、西欧近代国家の模倣でヨーロッパの一員になろうなどとは考えてもいない。</p>

<p>一方、アメリカのオバマ政権は、おそらくトルコ政府が何を望んでいるかに気づいている。それが、西欧諸国にとって望ましくない方向性であることも、オバマ政権は知悉していると思われる。しかしながら、オバマ政権は、トルコの新たな方向性を歓迎するはずである。それは、アフガニスタンでのタリバンの復興とカルザイ政権の弱体化、膠着したパレスチナ、とりわけガザ問題で打開策を見出せない現状において、少なくとも、西欧型国民国家の制度的枠組みを維持しつつ、イスラーム化の実現を図るトルコは、問題の仲介人として役立つ可能性をもっているからである。</p>

<p>6月、同志社大学を訪問したアフガニスタンのカルザイ大統領が、「自分自身は『国民国家』にはネガティブなスタンスをもっている」ことを表明した。聴衆としてその場にいた私は驚いたが、カルザイ大統領は、西欧近代国家の像を受容できないアフガニスタンの実態を率直に述べたにすぎない。トルコのギュル大統領、エルドアン首相も、かねてから、過剰な一枚岩的な民族主義を批判し、宗教に敵対的な世俗主義の国家像にも批判的であった。タリバンの復興に悩むカルザイ政権と、期せずして、共通の問題を抱えていたのである。違いは、トルコが、この問題を国民投票と議会政治によって、制度的に変革することができている点にあり、アフガニスタンの新たな国家建設にも、このノウハウは活かすことができる。オバマ政権も、ムスリムからなる国家の統治に何が必要かを認識しているならば、トルコの国民投票の結果を参照しつつ、対アフガン政策を変更していく必要がある。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-20.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-20.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 14 Sep 2010 14:01:23 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ニューヨークのモスク建設、コーラン焚書</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>異常な言動に翻弄される共生</strong></p>

<p>9月11日、アメリカでコーランの焚書を企てると騒いでいた牧師が、この蛮行を取りやめるとアナウンスした。結構なこと、と言う前に、世界に対する合理的な認識のない「牧師」は、どんなに規模が小さくとも、キリスト教信徒の集まる「教会」を率いるに値しない。このような蛮行が、どれだけアメリカの対中東、対イスラーム圏政策を危険に陥れ、アフガニスタンやイラクなどの地域に駐留する米兵の身に危険を及ぼし、かつ、アメリカへのテロ攻撃を誘発しうるか―疑問の余地はない。</p>

<p>イエスの教えを伝える人物を名乗るには僭称のそしりを免れない異常性が突出している。これを抑止したオバマ大統領、クリントン国務長官、ペトレイアス、アフガニスタン駐留軍司令官らの言動は合理的であり、「イスラームに対する敵対意識において異常」といわざるを得ない「牧師」の凶行を阻止したならば、ひとまず評価すべきである。</p>

<p>しかしながら、この種の異常な言動を公然と行う人物が、キリスト教会の保守派であれ、何であれ、どこにでも存在しうるのが世界の現状である。たまたま今回は、9･11の直前であり、アフガニスタン駐留軍が『不朽の自由』作戦や『ISAF』に従事しており、危険にさらされるという危機感から、本来、文民に指示する筋合いではないペトレイアス司令官が、フロリダのテリー・ジョーンズ牧師に電話をして制止した。</p>

<p>その一方で、我々は、ニューヨーク、グラウンド・ゼロ近くのモスク建設については、賛否さまざまな意見があることを承知している。ここでも、オバマ大統領は、宗教の共生と寛容を説き、あるいはアメリカ合衆国が、信教の自由を保障することを繰り返している。しかしその一方で、現地で建設に反対する市民は、「この場所が、あの9･11の悲劇の舞台に近接している」ことを理由に、犠牲者への冒涜、攻撃したテロリストの信仰であるイスラームの勝利を印象付けるから反対である旨、発言を繰り返している。</p>

<p><strong>両者の発言に、本質的違いはあるか？</strong>　</p>

<p>建設反対派は、犠牲者への思いやりを口にするが、加害者が過激派、あるいはテロリストであるとないとを問わず、ムスリムであることが禁ずべき理由だとしている。いうまでもないが、ここにモスクないしはイスラーム文化センターを建設しようとしているムスリムたちは、テロリストではないし、暴力を教唆煽動することもありえない。</p>

<p>そうであるならば、モスク建設阻止派の言動は、ムスリムを同質的に危険な人物の集団と言っているのであり、（聖典コーランを焚書にしてよいとは言わないにしても）、イスラームという宗教とその信徒全体を非難していることになる。<br />
彼らが、「フロリダの牧師と同じ扱いにするな」と言うことは無意味である。</p>

<p>日本は被爆国である。日本に原爆の惨禍をもたらしたのは米国である。米国の支配的宗教はキリスト教である。しからば広島や長崎にキリスト教会を建設すべきではない―この論理展開を合理的と解するならば、ニューヨーク、グラウンドゼロ近くのモスクの建設にも反対しうる。</p>

<p>米国政府も、世界の多くの人びとも、「テロリストとムスリムを同一視するな」と発言してきたが、それが、著しく通用しづらいのが、9･11にまつわるさまざまな事象である。悲劇の大きさ、惨禍の凄惨さを言いたいのなら、世界中にどれだけの「グラウンド･ゼロ」があるかをアメリカ市民は、地図を広げて探してみるべきだろう。</p>

<p>日本に、初期にキリスト教が伝来し、徳川幕府による禁令にもかかわらず信仰を守ってきた人々の住む「ナガサキ」に原爆を投下したアメリカは、この地が日本の「グラウンド・ゼロ」ではないと言うのか？</p>

<p>広島も長崎も「グラウンド･ゼロ」である。米国領を攻撃した太平洋戦争への報復には、原爆投下によって終結させることが必要だったと主張するのであるならば、過去数世紀わたりムスリムの世界を蹂躙し、過去半世紀以上にわたりパレスチナの人々の権利を簒奪してきたことに一矢報いた結果がニューヨークの「グラウンド・ゼロ」であることも認めなければならない。</p>

<p>戦争終結に、人道への罪と言うべき核兵器を使用することを肯定するならば、人道への罪を重ねてきた行為に、同じく人道への罪というべきテロを行使すことを否定できない。</p>

<p>パレスチナのガザ、レバノンのサブラ・シャティーラに「グラウンド・ゼロ」はないのか？バグダードやカブールやカンダハルやグロズヌイに「グラウンド･ゼロ」はないのか？ボスニアやコソヴォに「グラウンド･ゼロ」はないのか？</p>

<p>ニューヨークの「グラウンド・ゼロ」を追悼の地にしたいのなら、世界中の「グラウンド･ゼロ」も追悼の地にすべきである。そこに惨禍をもたらした人物や政治家や国家の宗教とは無関係に「聖地（宗教的意味ではない）」としたいのか、それとも、惨禍をもたらした「敵」に対する憎しみを新たにし、新鮮な敵愾心を掻き立てる意味での「聖地」にしたいのか。後者が、世界の平和構築に決して貢献しないことは明らかである。</p>

<p>イスラームがテロリストを生んだのではない。イスラームに対する数世紀にわたる抑圧、差別、疎外、攻撃がテロリストを生んだのである。だがいま、ムスリムの側には、抑圧に対する抵抗としての暴力肯定に倦む傾向が出てきている。そこには、平和的な手段でウンマ（イスラームの共同体）を再構築する動きもあるし、ダール・アル・イスラーム（イスラームの世界）を広めるために積極的に戦争としてのジハードを進めるという動きもある。西欧諸国の側が、世俗主義の論理や、古典的なキリスト教的イスラーム・フォビアによってムスリムを侮蔑しているあいだに、ムスリム自身の意識に変化が現れていることに注目すべきである。</p>

<p>イエスの教えがテロリストを生むはずはない―それはその通りである。だが、キリスト教国を名乗ってきた中世以来の諸国の、いったいどの国がイエスの非暴力の教えを遵守したか？この問いに答えない限り、グラウンド・ゼロへのモスク建設に反対する資格はありえない。反対する主張が、旧態依然としたイスラームとムスリムへの侮蔑と偏見の域を出ていないことは、反対派の主張をみれば明らかである。いつまでも、服従を強要する姿勢を取り続けているあいだに、抵抗としてのジハードよりも先鋭的なジハードを主張するムスリムを増やしていることに、アメリカのみならず、フランスもオランダもイギリスも、気づくべきである。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-18.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2010/09/post-18.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sun, 12 Sep 2010 02:26:06 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>トルコ検察、軍幹部を逮捕</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>『鉄槌』計画</strong><br />
　2月23日、トルコのイスタンブル地検は、軍幹部がコードネーム『鉄槌』（Balyoz)というテロ・組織犯罪に関与したとして、退役司令官、現役将官ら50人近くを逮捕・拘留した。<br />
　逮捕者には元空軍司令官、海軍司令官、参謀次長（後に第一軍管区司令官）など軍トップを含むほか、現役の海軍少将、准将らもおり、軍が組織的に犯罪を計画したという容疑である。計画は、トルコの航空機を墜落させたり、モスクを爆破するなどのテロを起こして社会不安を煽り、政権を不安定化させ、政党の事態収拾能力を失わせて転覆を謀るというものらしい。（詳細は明らかでない）<br />
　現在の公正・発展党（AKP)政権は、イスラーム主義者を核としており、トルコ共和国の憲法原則である政教分離（世俗主義）を切り崩したい。それに対して、世俗主義の決然たる擁護者を自認する軍の不満が嵩じている。このことが、背景を理解する最初の鍵となっている。<br />
　『鉄槌』計画より前、すでに公判が開始されているもう一つの政府転覆計画、コードネーム『エルゲネコン』（Ergenekon)がある。こちらも軍が関与したとされ、元幹部（大将クラスを含む）と将校、さらに世俗主義派のジャーナリスト、大学学長らが逮捕・起訴されている。ジャーナリストには、トルコ建国当初以来、世俗主義と国家主義を掲げてきたジュムフリーイェット紙のアンカラ支社長、学長ではイスタンブル大学の元学長等が逮捕されており、計画の内容として報じられたいくつかの暗殺事件との関連について、トルコ社会を不安に陥れた。不安は、事実だとしたら恐ろしいという意味（イスラーム主義者側の不安）と、そんなことに関与するはずはない、検察側の陰謀ではないかという不安（世俗主義者側の不安）の両方である。この事件での容疑者摘発には、携帯電話の盗聴が証拠としていくつも挙がったため、世俗主義者側は通信の秘密が守られていないことに対して、ひどく警戒を強めていた。<br />
<strong>軍はどう動くか</strong><br />
　『エルゲネコン』だけでもトルコ社会に大きな衝撃を与えたのだが、さらに、軍部の組織的関与に疑いのかかる『鉄槌』計画が摘発された衝撃は計り知れない。今回の事件では、元統合参謀本部のNo.2（参謀次長）が逮捕されているため、立件内容が事実ならば、陸海空軍およびジャンダルマ（治安維持軍）という4軍を統括する参謀本部自体の関与を疑われる。したがって、『エルゲネコン』疑惑と比べて決定的に重要な意味をもつことになる。</p>

<p>　ことの真相は明らかでないが、構造的にみると、これらの「事件」には以下の2つの思惑が絡んでいる。</p>

<p>①軍が二度と政治に介入できないようにシビリアン･コントロールを確立したい政権側の思惑（保守的なイスラーム教徒国民は支持・軍に批判的な左派層の支持も取り込む）<br />
②このままイスラーム政党が政権を担当すれば、国家原則の世俗主義が崩壊するという軍部の危機感（トルコ民族主義者のうち、西洋化志向が強く、イスラームに批判的な層の支持）</p>

<p>　事実関係の究明がなされない段階でも、この両者の思惑が濃厚に作用していることはトルコ国民全体が気づいている。</p>

<p>　摘発された軍にとって選択肢は2つしかない<br />
１．クーデタを起こして公正・発展党政権を崩壊させる<br />
２．二度と政治介入できないようシビリアン･コントロールに服する</p>

<p>　外から見る限りシビリアン・コントロールに服することは、民主化の進展を表し、トルコにとってプラスと評価できる。実際、ヨーロッパ諸国（EU）は、そう評価するだろう。<br />
　しかし、イスラームの政治での復権が確実ななかで、世俗主義を維持する防波堤の役割を軍部が担っていたことも事実である。世俗主義という憲法原則に関する限り、最大の「護憲勢力」が軍であったことも否定できない。ここが、日本やヨーロッパ諸国とは大きく異なる点である。<br />
　今後の世界情勢にとって、ムスリム国家でありながら世俗主義を維持することには一定の意義がある。イスラーム主義のポピュリスト政権が、軍を動かしたり、軍事組織を私物化した場合の危険性は、イランやスーダンをみれば明らかである。トルコ軍がシビリアン･コントロールに服したとしても、いきなりイランのような国家に変貌することはありえない。しかし、象徴的な「歯止め」が崩れることの意味はあまりにも大きい。</p>

<p><strong>検察の立場</strong><br />
　もうひとつ興味深いアクターは検察である。共和国最高検察庁は、いまのところ、政権与党のイスラーム主義傾向に対して、憲法違反の疑いを強めている。2008年にも、公正・発展党が憲法第2条に規定された世俗主義条項に違反するとして、政党解散請求訴訟を憲法裁判所に起こしている。憲法裁判所は、ぎりぎりのところで却下したが、最高検は再度、与党を憲法違反で提訴するかもしれない。<br />
　その一方で、地検と警察は、軍幹部をふくむ今回の大量逮捕に踏み切っている。地検レベルでは、すでに、国家原則としての世俗主義を云々することはなく、テロ･組織犯罪であれば軍に対しても容赦しないという姿勢を明示した。<br />
　世俗主義者の側からみれば、すでに、検察の一角はイスラーム主義者によって切り崩されたとみるだろうし、イスラーム主義者の側からみれば、警察・地検が民主化して軍の特権構造に切り込んだと見ているだろう。<br />
　国家転覆や政権転覆の陰謀説に、トルコ国民はきわめて敏感であると同時に、すでに慣れっこになっている。実際、過去に軍は4回、政治に介入しているし、直近では1997年2月に当時の福祉党政権（現政権よりも保守的なイスラーム主義）を崩壊させた。しかしその後、EU加盟交渉にかすかな光が見え始めたこと、2002年以来政権の座にある公正・発展党(AKP)が、安定した経済発展に貢献したことなどもあって、軍は実力行使を控えている。国民も、過去半世紀にわたる「軍vs.政党」の確執による不安定に嫌気しており、世俗派であっても「好きじゃないが公正・発展党にやらせておこう」という市民は増加していた。</p>

<p><strong>参謀総長の決断</strong><br />
　現在の軍トップ、イルケル・バシュブウ参謀総長はどう動くか。彼は、前任のヤシャル・ンブユクアヌト参謀総長と比べると、表向きは地味で、その肉声はなかなか伝わらない。ブユクアヌト参謀総長が自分で記者会見を行って、しばしば与党を牽制したのに対し、バシュブウ参謀総長は、あまりぺらぺら喋らないし、ジャーナリストとの距離を一定に保っている。したがって、ポロｯと口にしたことがマスコミによってリークされることも全くない。マスコミが観測記事を書くと、即座に、参謀本部のウエブサイトで「虚偽である」という素っ気ない警告が載る。バシュブウ参謀総長は、国軍のプリンシプルに対して極めて厳格である。国軍のプリンシプルというのは、憲法で規定されているとおり、統帥権をもつ大統領に服属することであるから、現在は、トルコにおけるもっとも傑出したイスラーム主義の政治家だったアブドゥッラー・ギュル大統領に従わなければならない。<br />
　これは推測だが、バシュブウ参謀総長としては、いかに政治的なイデオロギーが違っていようと、大統領に逆らうことは（軍の最高責任者として憲法に反することであるがゆえに）できない。その一方で、建国の父アタテュルク以来の鉄則を、国家元首をふくむ政権側が破るのであれば、決然と対決しなければならない。<br />
　参謀総長は、この二つの「プリンシプル」の狭間で、決断を下すことになる。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2010/02/post-19.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2010/02/post-19.html</guid>
            
            
            <pubDate>Thu, 25 Feb 2010 13:27:39 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>緊張するトルコ・イスラエル関係</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>イスラエル外務副大臣の馬鹿げた態度</strong><br />
　2009年１月、トルコとイスラエルの外交関係が緊張を高めた。ことの発端は、イスラエルのアヤロン外務副大臣が、デル・アビブ駐在のトルコのチェリッキコル大使を外務省に呼び出して、最近、トルコで放映されたドラマについて抗議した。その際、副大臣は高い（値段ではない）椅子に座り、大使を低いソファに座らせ、テーブルの上にはイスラエル国旗だけを飾り（ふつうは両国の国旗を飾る）、挙句の果てに、大使は外務副大臣より身分が下だと公言し、その様子をメディアに撮影させたとのことである。<br />
　外交儀礼上、ありえない無礼な行為である。抗議のために呼びつけることなど、外交の世界では頻繁にあることだが、このように相手国の大使を侮辱する例は、あまりない。トルコのギュル大統領が、「わが国の大使を召還する」と即座に反応したのは当然である。<br />
　結局、イスラエルのペレス大統領が事態を憂慮し、アヤロン副大臣に謝罪文を書くよう促し、リーベルマン外相、ネタニエフ首相共にこれを承認して、チェリッキコル大使とトルコ政府に謝罪した。<br />
<strong>原因となったテレビドラマ</strong><br />
　両国緊張の発端となったテレビドラマは『狼たちの谷』（Kurlar Vadisi)という。相当な長編もので、もう何年も放送されている。今回の場合、イスラエルの情報機関モサドの要因が子どもを誘拐するシーンがイスラエル側を苛立たせた。イラクを舞台にトルコに攻撃を仕掛けるクルド分離主義の武装組織PKKとトルコ軍との戦闘を描いたり、イラクにおけるアメリカの陰謀を描いたりと、徹底して周辺諸国や同盟国のアメリカまでが陰謀をめぐらせて、トルコを陥れようとしているという陰謀史観に貫かれている。なかなかリアルなのは、ドラマとはいえ、この種の陰謀や攻撃が、多分にありそうなことであるとトルコ国民には受け取られるからである。ドラマでは、必ず、愛国・救国の士が登場して、いかなる謀略にも拷問にも屈せずに闘うという筋書きになっているので、トルコの民族主義を高揚させる主旨で書かれていることは疑いの余地がない。<br />
　ただし、トルコの民族主義が、今日、置かれている状況には若干注意が要る。かつて（イスラーム色の強い現在の公正・発展党政権ができるまで）トルコ民族主義というのは、建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクによる救国・建国の戦いのストーリーを基にするものが多く、ドラマなどに使う場合も、イスラームがらみで描かれることはなかった。民族主義といっても、国家主義そのものであり、建国の父がこの国に厳しい政教分離原則を持ち込み、トルコを世俗主義国家と規定したため、イスラーム色を持ち込むことは、そもそもトルコの体制イデオロギーとしての世俗主義とは相容れなかったからである。<br />
　ところが、この『狼たちの谷』は、最近の中東情勢の動きを反映してストーリーを展開させている。イラク編、シリア編、パレスチナ編などがあり、特にパレスチナ編では、パレスチナ人へのシンパシーが色濃く、反イスラエル的な内容になっている。イスラエル兵によるパレスチナの子どもの殺害シーンなど。このあたりに、イスラーム色をにじませる公正・発展党政権のパレスチナ（特にガザ）に対するシンパシーと、アメリカ・イスラエルに対する反感を巧みに取り入れた内容となっている。この番組は、旧来のトルコ民族主義モノとは異なり、現政権の外交政策に添った内容となっているため、かなりきわどい部分がありながら、メジャーなテレビ局によって放送され続けたのである。<br />
　今回、直接問題とされたシーンの一つは、イスラエルの大使館（総領事館）とおぼしき建物に誘拐された赤ん坊が監禁されていて、それを主人公（トルコ人の勇士）が助けるというものだが、赤ん坊を助けるために、イスラエルの要員（モサド？）を射殺すると、背後のイスラエル国旗に血しぶきが飛ぶというものである。<br />
　イスラエル側にすると、これは反ユダヤ主義の宣伝ということになろうが、視聴者であるトルコ人は、中東でのイスラエルの過剰な防衛がもはや暴力といわざるを得ないことを日々、パレスチナからの報道で知っている。イスラエル政府は、欧米諸国などにみられる反ユダヤ主義批判の延長線上で、トルコ大使に抗議したのだろうが、トルコ国民からは、強烈な反発をまねくだけであった。<br />
<strong>伏線としての対イスラエル批判</strong>　<br />
　今回の対立に至る前、すでに、昨年からトルコとイスラエルの関係は緊張を高めていた。2008年12月~09年１月にかけて、イスラエルがガザ地区に行った攻撃で1400人近い死者を出した。その直後、09年1月29日にスイスのダヴォスで行われた世界経済フォーラム（通称ダヴォス会議）でガザ問題のパネルがあった。その席上、トルコのエルドアン首相は、イスラエルのペレス大統領に向かって、「人殺しの仕方をよく御存知のはずだ。子どもを殺したことを我々はよく知っている」と異例の強い調子で公然と非難した。<br />
　このとき、イスラエルはトルコに対して強硬な姿勢を取らなかった。09年の10月には、イスラエルとトルコの合同軍事演習が予定されていたが、トルコ政府は、イスラエル空軍の参加を拒否している。トルコ首相府は、「ガザ攻撃に参加したかもしれないイスラエル空軍機のトルコ領空内での演習は容認できない」として、合同演習を拒否したのである。<br />
　トルコはNATO加盟国であり、イスラエルとも軍事協力関係をもち、イスラエル製の武器も購入してきたが、ここにきて、両国間の関係は極めて厳しいものとなっている。ムスリムであるトルコ国民がパレスチナの状況に対して深い憂慮と怒りを感じていることは言うまでもない。いまのところ、なんとか外交関係の維持はしているものの、トルコのイスラエルに対する非難と厳しい姿勢は、パレスチナ問題へのネタニエフ・イスラエル首相の強硬姿勢が続く限り変化しないだろう。トルコのエルドアン政権の支持率は、二期目（2007年~11年）に入って、低下しているとされ、国民の支持を取り付けるためにも、外交姿勢においてイスラーム的公正（弱者＝パレスチナ、アフガニスタンなどの民衆）への支援強化）を打ち出す必要がある。<br />
　昨年のダヴォス会議の直後、エルドアン首相への支持が急上昇した。今回、イスラエル外務副大臣の失策は、トルコの公正・発展党政権にとっては、プラスに作用する結果となったと言えよう。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2010/01/post-17.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2010/01/post-17.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sat, 16 Jan 2010 15:24:29 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>米軍基地での銃乱射事件の重大性</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>確信犯的なテロか？</strong><br />
　米国、フォート・フッド陸軍基地で、昨日発生したニダル・マリク・ハサン軍医少佐による銃乱射事件は、動機の解明によっては、重大な問題に発展する。<br />
　ハサン少佐は、パレスチナ出身の両親をもつと報道されているが両親はすでに死亡しており、本人は、米国ヴァージニア州の生まれだという。独身だが、敬虔なムスリム（イスラム教徒）で、通っていたモスクのイスラム指導者によると、同じく敬虔なムスリム女性を妻に迎えたい意向であったという。（以上の報道はBBC、Washington Post等による）<br />
　彼は、近くアフガニスタン？に派遣されることを忌避していたという。同時に、精神科医として、アフガン、イラク帰還兵のPTSDなど精神疾患の治療にあたっていた。<br />
　彼の患者だった米兵たちは、イラクやアフガニスタンで大変な恐怖を味わったことでPTSDなどの精神疾患をわずらったのだが、恐怖の中心は、現地のイスラム武装勢力などから攻撃を受けたことによるものであろう。兵士たち自身、負傷したかもしれないし、仲間の兵士の死を目の当たりにしたかもしれない。<br />
　いずれにせよ、ハサン少佐が職務として診察しなければならない相手は、イスラム教徒によって攻撃を受けた兵士であり、彼らが現地のイスラム教徒に対して極めて強い敵意を抱いていたことは容易に想像できる。<br />
　カウンセリングや治療に際して、兵士たちから当然、従軍中のエピソードを聴取する必要があるから、イスラム教徒に対する罵詈雑言の類を聞かされていたことも想像に難くない。<br />
　ハサンが敬虔なムスリム（イスラム教徒）だったのであれば、これは、想像を絶する苦痛である。本人は、ムスリムとして、アメリカがイラクやアフガニスタンで行った（意図せざる結果であったにせよ）非戦闘員に対する攻撃や殺人という行為を断じて容認できるはずがない。イラク戦争にせよ、アフガニスタンでの「不朽の自由」作戦にせよ、ターゲットとしたはずのイスラム武装勢力のみならず、一般市民の犠牲者が多数出たことは周知の事実である。<br />
　日常的に、同僚の米軍兵士からは、イスラム教徒に対する罵詈雑言を聞かされ、しかも、それを口にしている兵士自身を医師として診なければならないというのは、日々、身を引き裂かれる思いであったと推測できる。<br />
　そのため、医師であり軍人であるハサン自身が、精神を病んだ可能性は大いにある。だが、本人の精神鑑定の結果が公表されない限り、動機については解明しようがない。さらに、軍基地内でのテロであるため、当然、機密が保持され、戦意を喪失させてはならないという条件もあるから、どこまで公表されるか、どのように公表されるかについて透明性を保証できない。<br />
　<strong>「神は偉大なり」と叫んだとすれば</strong><br />
　ハサンが「神は偉大なり」と叫びながら銃を乱射したことが報じられている。これが事実だとすると、犯人は、何らかの意味でイスラム的に正しい行為をしたと思い込んでいたことになる。この点は、本件がどのように政治的に利用されるかを考えると重大である。<br />
　精神の平衡を失っておらず、しかも、神の名を口にしながら犯行に及んだとなれば、確信犯的なテロリストである。アル･カーイダやタリバンのように、無差別に殺人を繰り返す集団と同じことになり、本人がいくら神の名を口にしても、イスラム的に正当化できない。イスラムは、厳格に、理由なき殺人を禁じるからである。<br />
 ただし、イスラムは同害報復は認めている。アフガニスタンやイラクで犠牲になった同胞への報復として、米兵を殺害したと本人が主張すると、あまりに危険な結果をもたらす。<br />
　一方、精神の平衡を失ったうえで、神の名を口にして犯行に及んだのであれば、今度は、精神が錯乱したうえでイスラム的行為を偽装したことになる。<br />
　問題は、本件が、今後、どちらの線で解釈され、「解明」されるかにある。前者の線でいくならば、米軍内部にテロリストがいたことになり、テロを未然に防げなかった軍と政府の責任が追及される。軍にとっても、政府にとっても、これほどの失態はない。失態の追及をかわすには、犯人の残虐性、イスラムの危険性を、一層、強く主張せざるをえなくなる。<br />
　結果的に、イスラム教徒に対する不信とテロのイメージが強化される。在米ムスリムにとっては、9･11以来の偏見と差別を改めて強化させてしまう結果を招く。<br />
　また、アル･カーイダなどイスラムから逸脱した暴力を正当化する組織が、ハサンの犯行を賞賛するようなことをすれば、世界的なレベルでイスラム・フォビア（反イスラム感情）を増悪させる結果となる。<br />
　この事件が、重大な意味をもつのは、本人が確信犯的に、すなわち、同僚である米軍兵士に対して、アル･カーイダが主張するような逸脱した暴力を行使したと結論づけられた場合、イスラムと欧米世界との関係を一層悪化させる点にある。<br />
　イスラムとの融和を訴えたオバマ政権にとっても強烈なダメージとなり、アフガニスタンでの強硬策を主張する勢力を勢いづかせることになる。</p>

<p><strong>狂気の果ての犯行とすると</strong><br />
　ハサン少佐が、精神を病んだうえで凶行に及んだということになると、政治的な混乱と暴力の連鎖は回避される。ただし、なぜ、精神の平衡を失うに至ったかを考えると、単に米軍でも米政府でもなく、米国社会全体が受けるダメージが大きい。<br />
　パレスチナ出身者で敬虔なムスリムである米国市民ニダル・マリク・ハサンの、軍に対する忠誠の誓いを信頼し、平等に処遇したのは米国的な開かれた平等性の証である。しかし、同時に、パレスチナ系であり、ムスリムである彼が、この任務で、どれほどの精神的ストレスと苦痛に苛まれるかを斟酌しなかったのも米国的処遇の結果ということになる。<br />
　米国に忠誠を誓ったがゆえに信頼していたら、ひどい精神的苦痛を受け、ついに正気を失って凶行に至ったということになるのだが、焦点となるのは、米国の世論が、「ひどい精神的苦痛」の部分を理解できるかどうかという点である。理解できるのであれば、冷静に対処することが可能であろうし、これまで幾度も起きてきた銃乱射事件と同様に処理されるだろう。しかし、理解できれなければ、ハサンは国家に対する裏切り者であり、裏切り者となった原因が、パレスチナ系という民族的出自、あるいはムスリムであるという宗教的アイデンティテイに帰せられることになるからである。<br />
　現実的に考えれば、ハサン少佐は、その人生の途中まで、アメリカ合衆国と米軍に忠誠を誓う意志をもっていたことは確かである。両親がパレスチナ出身者であったなら、パレスチナ問題に冠する米国の親イスラエル政策に対しては、当初、さほどの嫌悪を抱いていなかったことになる。<br />
　その一方、9･11以降の米国社会、あるいは広く西欧社会でのイスラム･フォビアと、テロを起こしたアル･カーイダなどの暴力との狭間で苦悩したはずである。軍での少佐個人に対する嫌がらせが、その苦悩をより深いものにした。その結果として、精神を病んで今回の銃乱射というテロに至ったというのが、非ムスリムからみた場合の、ありうべきシナリオとなろう。しかし、問題は、彼の苦悩の深さにある。イスラムは神の法である。人の定めた法だけが苦悩の原因なら、法的解決もありえただろう。（例えば侮辱した同僚を告発するとか、自ら除隊するとか）だが、彼はアフガニスタン？への派遣が目前に迫るまで、除隊を望んでいなかったようである。ということは、軍務という仕事もまた、彼の人生の目的になるほど重要な位置を占めていたことになる。<br />
　自ら人生の目標としてきた軍での仕事と、神の法によるムスリムへの攻撃禁止という2つが矛盾するとき、信仰をもたない人間には想像できないほどの苦しみを味わうことになる。敬虔なムスリムになればなるほど、イスラムにおける「聖俗不可分」の原則は、人間にはどうにもならないほど重いものになるからである。<br />
　<br />
　<br />
　　<br />
　</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2009/11/post-16.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2009/11/post-16.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sat, 07 Nov 2009 02:35:13 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>トルコの新たな外交戦略（１）</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>３つの「打開」</strong><br />
トルコは、いま、外交と内政において、三つの「打開」（トルコ語ではaçılım）を掲げている。アチルムとは、オープニングの意味だが、日本語としては行き詰まっていた課題を「打開」するの意味に近い。<br />
（１）アルメニア問題の「打開」<br />
（２）クルド問題の「打開」<br />
（３）民主的「打開」<br />
政府が打ち出したのは、この三つである。ここでは、この３つの「打開」を通じて、トルコの新たな外交戦略について検討する。</p>

<p><strong>アルメニア問題の「打開」</strong><br />
トルコにとって、アルメニア問題は、トルコの国内問題ではなく、第一次世界大戦当時（主として1915-1917年）のアルメニア人の犠牲者について、アメリカやフランス、レバノンなど国外に住むアルメニア人同胞が、「虐殺」として認定するよう求めてきた問題の処理に関するものである。<br />
当然のことながら、トルコ政府は、「虐殺」を認めていない。ただし、第一次世界大戦当時の混乱した状況のなかで、トルコ人、アルメニア人、クルド人、アラブ人などが混在して居住していた今日のトルコ東南部地域において、衝突が繰り返され、各々に多くの犠牲者が出たことは認めている。<br />
アルメニア人に関しては、革命前のロシアが民族自立を煽動したとして、シリア側に大量追放され、その過程で多くの犠牲者を出したことについて、トルコ国内でももはや全面的に否定する論調は少ない。ただし、これを「虐殺」（genocide)とは認めない。ジェノサイドとは、政府もしくは政府に類する権力機構によって、組織的に殺戮が行われた場合を指すから、これを認めることは、国家としての組織的虐殺を認めることになるからである。<br />
一方、「虐殺」問題について強硬な姿勢をとってきたのは、アルメニア共和国本国よりも、在外アルメニア人の方であったことは、あまり知られていない。アルメニア本国は、かつてソ連当時は、この種の外交問題を提起することはなかった。ソ連崩壊にともなう独立後には、「虐殺」問題を提起することが可能になったが、在外アルメニア人組織による反トルコ・キャンペーンに比べると、本国の動きは必ずしも活発でなかった。<br />
実際、アルメニア虐殺を歴史上の事実として公認させる動きは、アメリカやフランスにおいて活発であり、2006年にはフランス議会に「アルメニア虐殺を否定する言動を処罰する」趣旨の法案が上程された（施行されていない）。また、アメリカ下院外交委員会でも、「虐殺の公認」の決議がなされている。<br />
しかし、アルメニア共和国本国からの「虐殺」公認の働きかけは、在外組織に比べると低調であった。1990年代初頭のナゴルノ・カラバフ紛争以来、アゼルバイジャン領であるナゴルノ・カラバフ（アルメニア人が多数を占める）を不当に占領していることもあって、アルメニア本国が虐殺問題を国際世論に問うた場合、ナゴルノ・カラバフ問題で逆襲される可能性を絶えず考慮しなければならないからである。</p>

<p>昨年、トルコのアブドゥッラー・ギュル大統領がアルメニアを電撃訪問した。今年10月には、両国の国交正常化交渉に関する取り決めに両国外相がサインし、正常化は両国の議会で審議されることになる。<br />
「虐殺」を認める、認めない論争に注目していると、この展開の意味は分かりにくい。だが、「虐殺」公認要求は、在外アルメニア人組織が中心に行ってきたものであり、「虐殺」否認はトルコ政府が行ってきたことを考えると、今回の国交正常化の主役であるアルメニア共和国政府は、虐殺公認論争の中核にはいなかったのである。<br />
他方、南コーカサスの内陸国であるアルメニアは、隣国アゼルバイジャンとは紛争が継続中であり、北のグルジアはロシアと厳しい対立関係にある。グルジアに比べると、アルメニアの対ロ関係は悪くないが、ロシアへの依存度を高めれば、ますます近隣国との関係は悪化せざるをえない。<br />
トルコとの主要な国境ゲートは、ナゴルノ・カラバフ紛争によって1993年に閉鎖されたままである。トルコは同じトルコ系民族のアゼルバイジャンとは一貫して極めて強い友好関係にあり、経済的にも、BTC(アゼルバイジャンの首都バクー、グルジアの首都トビリシ。トルコの地中海岸の都市ジェイハン）パイプラインによって資源戦略を共有している。<br />
これらの状況を勘案すると、アルメニア共和国側には、経済的孤立を打開するために、トルコとの国交を正常化し、国境ゲートを再開させることに一定の意義が見出せる。<br />
一方、トルコにとっては、国境の再開がさして大きな経済効果をもたらすとは思えない。むしろ、アゼルバイジャンとの友好関係にひびが入ることを懸念する声は多いのである。トルコにとってアルメニアとの国交正常化がもたらす最大のメリットは、在外アルメニア人組織による反トルコ・キャンペーンの封じ込めにある。本国が国交正常化に動けば、在外同胞のはしごを外すことになるからである。実際、アルメニアのサルキシアン大統領は、在外同胞から厳しい批判を受けている。<br />
在フランスのアルメニア人組織による反トルコ・キャンペーンは、トルコのEU加盟交渉にとって、絶えずマイナスの要因であった。カリフォルニアを中心とする在米アルメニア人のロビー活動もまた、大統領選をはじめ米国内の主要な選挙の際には、必ず活発化していた経緯があり、これを封じ込めるには、アルメニア本国との国交正常化がもっとも効果的であったことは事実である。<br />
2009年4月のオバマ大統領のトルコ訪問に際して、大統領はアルメニア問題に言及した。しかし、「虐殺」（ジェノサイド）という表現を使っていない。つづく4月24日の「虐殺メモリアルデー」での書簡でも、ジェノサイドという表現を使わず、トルコ側に歩み寄ったのである。<br />
今回の国交正常化は、オバマ政権によるトルコ重視の姿勢に対するトルコ側からの一つのレスポンスである。これ以上、アルメニア共和国の経済的孤立が続くと、ロシアへの接近を強める可能性もあり、南コーカサスの安定には寄与しない。アゼルバイジャンとアルメニアの紛争状態が一挙に解決する可能性は現段階では低い。だが、トルコがアルメニアとの国交を正常化させれば、アゼルバイジャンとアルメニアの20年にわたる紛争状態を解消する一歩が踏み出せる可能性はある。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2009/11/post-15.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2009/11/post-15.html</guid>
            
            
            <pubDate>Wed, 04 Nov 2009 17:33:58 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>オバマ大統領、トルコ国会演説の意義</title>
            <description><![CDATA[<p>以下は4月6日にトルコ大国民議会で行われたオバマ大統領の演説そのものに対するコメントであって、中東外交に対する評価ではない。<br />
<strong>入念な配慮と期待</strong><br />
4月6日に行われたオバマ大統領のトルコ大国民議会（一院制の国会）演説は、実に巧みに練り上げられたものであった。トルコを米国の対中東政策・対イスラーム圏外交・対テロ戦争の要と位置づけ、米国とトルコとの同盟関係を強調した。</p>

<p>そうでありながら、オバマには譲れないテーマがある。民主化とマイノリティ（クルド人）に対する配慮、米国内で民主党支持基盤であるアルメニア人の「虐殺」問題、イスラエルの生存権などである。<br />
オバマ演説は、これらの諸点を盛り込みながら、トルコ国民の多数を苛立たせず、トルコ政府・与党を苛立たせることもなく、さらに、世俗主義政党の野党、民族主義政党の野党、クルド政党にまでも一定の配慮を示しながら30分の演説を終えた。<br />
特筆すべきは、「米国はイスラームを敵視しない」と明言したうえで、米国にも家族にムスリがいる人々、ムスリムがマジョリティを占める国で暮らした経験をもつ米国市民も多い。オバマは「私もその一人だ」と述べた。その後、通訳が訳し終えるまで5秒の間をおき、議場から多くの拍手を浴びた。どの部分が「キメ台詞」であるかをよく心得ていた。</p>

<p>アルメニア問題についても、1915年から起きた悲劇についても触れなければならないとしながらも、在米・在仏アルメニア組織が要求する「虐殺」という表現を避け、ギュル大統領のアルメニア訪問や、長年にわたって閉鎖されてきたトルコ・アルメニア国境を再び開けるという前向きな姿勢を高く評価した。</p>

<p>クルド問題についても、トルコ政府が、国営放送でクルド語放送を始めたことを民族融和の象徴として評価しながら、ＰＫＫ（クルド労働者党：トルコからの分離独立を主張する極左ゲリラ・テロ組織）については、「アル・カーイダと同様にテロ組織であり、米国・トルコ共通の敵」と断じた。この部分は、完全にトルコ政府・トルコ軍部・トルコ民族主義者の望んだとおりの発言である。</p>

<p><strong>トルコをヨーロッパとみなす</strong><br />
さらに、トルコをヨーロッパの一部とみなし、これまでのトルコの改革努力を「EUに入れるか否かが問題ではなく、トルコ人自身にとって必要な改革」と評価したのだが、この台詞は、トルコ政府首脳が頻繁に使うものと完全に同じで、多くのトルコ国民には、ぐっとくる表現である。</p>

<p>EU加盟についても全面的な支持を表明し、トルコは海峡（イスタンブールのボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側にも領土を持つ）によってヨーロッパなのではなく、米国にとって重要なパートナーとしてヨーロッパなのだと、これもトルコ国民の積年のEU加盟に対する想いを、見事に代弁してみせた。</p>

<p>もっとも、フランスのサルコジ大統領は、オバマのEU加盟支持発言に「米国の知ったことではない。EU加盟はEUが決める」と反発しているが、オバマはこの種の反発を織り込んだうえで、あえてトルコを「世俗主義と民主主義の国家であり、かつムスリムの国」としたうえで、「ヨーロッパの一部」とみなす視点を一貫させた。米国のトルコ重視の姿勢は、EU諸国（イギリス、スペイン、イタリアを除く）をかなり苛立たせるものだった。<br />
アフガニスタンを「テロとの戦い」の主戦場と位置づけるオバマ政権にとって、NATOがようやく増派を認めたものの、各加盟国の事情が異なるため、すんなりとはいかない状況にある。そこで、NATO加盟国でありながら、兵員はムスリムであるトルコが、アフガニスタンの治安回復とタリバン掃討（トルコ軍はイスラーム主義を容認しない）に多大の貢献をなしうると期待しているのであろう。</p>

<p><strong>反イスラーム感情の否定とヨーロッパとの相違</strong><br />
オバマが、トルコをヨーロッパと認めつつ、イスラームを敵視しないと宣言した点は、ヨーロッパ諸国の反イスラーム感情から明確な距離をおく姿勢を示したものと言える。<br />
EU加盟国をはじめ、西～北ヨーロッパ諸国では、反イスラーム感情が強い。これは、もともとムスリム移民が多かったため、「移民が労働市場を圧迫する」、「移民がヨーロッパの文化や規範を受け入れない」などの批判に端を発したものだったのだが、後に、9・11が起きると、反イスラーム感情は広い範囲で激しくなった。<br />
民族差別や人種差別問題では、「人権の先進国」を名乗ってきたようなドイツ、フランス、オランダ、デンマークなどの国でも、ムスリムへの敵視、イスラームへの侮蔑と反感は過去8年で急速に高揚し、公然化とイスラームへの嫌悪感を唱える人々が増加した。<br />
イスラームとテロを直結させ、諸悪の根源はイスラーム原理主義だとする言説が蔓延したことがあるのだが、ヨーロッパ諸国の反イスラーム感情は、たちの悪いところがある。ブッシュ政権下での反イスラームというのは、イスラームとテロを結びつけるという単純な論理だった。<br />
一方、フランスのような「言説の帝国」は、あらゆるロジックを駆使して、イスラームが根源的に民主主義や男女の同権と相容れない宗教であることを繰り返し訴え、法制度まで変えてムスリムを疎外した。<br />
ムスリム女性のスカーフやベールにまで執拗に攻撃を加えたのは、フランス的啓蒙主義の精神の延長線上にあるにしても、行き過ぎた「異文化への憎悪」と言わざるを得ない。<br />
デンマークでの預言者ムハンマド・風刺画事件もまた、「表現の自由」vs「宗教的過激主義」の問題だと声高に叫ぶヨーロッパの政治家やジャーナリストによって、ムスリム疎外の手段に利用されてきた。<br />
今回のオバマ演説の特筆すべき点は、これらの反イスラーム感情（イスラムフォビア）から、完全に距離を置いた点にある。理解しあえないとしても、イスラームとムスリムに対する敬意と相互理解を追求していくと宣言し、イスラームという宗教自体に「問題がある」と受け取られる表現を一切使っていない。「原理主義」という表現も使わなかった。<br />
しかも、上述のように、自分のパーソナル・ヒストリーに言及して「自分も家族にムスリムをもつ一人だ」と言い切ったのは、全世界のムスリムへのリップサービスであるにしても、相当に踏み込んで、「イスラームを敵視せず」と表明するには効果的であった。<br />
アメリカ外交のプラグマティックな性格とリベラル・デモクラシーの伝統に沿った発言ではあるが、今日のイスラーム世界vs欧米の緊張関係を感情的な面で緩和させるうえで、大きな効果をもつ演説であったことに疑いの余地はない。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/post-14.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/post-14.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 07 Apr 2009 02:42:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>オバマは、なぜトルコを最初の訪問国に選んだか（その２）</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>オバマの中東外交・対テロ戦争の要点</strong><br />
１．テロとの戦いの主戦場をイラクからアフガニスタンに移す。アフガニスタンではタリバン支配地域が拡大し、ＮＡＴＯ軍を主体とするISAF（治安協力部隊）の犠牲者が増大している。<br />
２．イスラエルの生存権と権益を擁護すること（裏返せば、ハマスはテロ組織として交渉相手にせず、あくまでアッバース議長のファタハにパレスチナ側交渉代表をまかせたい）<br />
３．イランの核開発を抑止し、イスラエル、イラクにとって脅威とならないようにする。<br />
４．イラクからの撤収をスムーズにおこなうこと。<br />
５．イラク国家の体制を安定化させると同時に、一貫して米政府に協力してきた北イラクのクルド自治政府の自治・独立要求に応分の答えをだすこと</p>

<p><strong>アメリカにとってのトルコの戦略的重要性</strong><br />
上記の要点に対応するかたちで考えてみると、以下のようになる。</p>

<p>１．アフガニスタンで、すでにトルコはNATO加盟国としてISAFに兵員を送ってきたが、犠牲者を出していない。もっとも単純化した説明をするなら、トルコ軍は現地アフガニスタンの民衆から協力を得るには、「何をしなければならないか」、「何をしてはならないか」をよく心得ているからである。作戦行動の内容というよりも、日常的なパトロール活動などにおいても、アフガニスタン市民から敵意を受けるような行動を慎み、治安維持という目的のために的確な行動を統率された兵員が実践してきたことが最大の要因である。同時に、文民レベルでは、2001年のアフガニスタン戦争後、最初に駐留したNATOの文民代表をトルコの元外相ヒクメト・チェティンが勤めており、彼はアフガニスタンの部族勢力の関係を詳細に把握し、治安維持と復興のために、何が必要な方法なのかを知っていた。今回、NATO首脳会議でも、今後、アフガニスタンに増派するならば、トルコとして文民代表を再度派遣する用意があることを表明している。</p>

<p>２．去る1月末のダヴォス会議（世界経済フォーラム）での、「ガザ問題パネル」において、エルドアン、トルコ首相がペレス、イスラエル大統領に対して、きわめて激しい調子で非難した事件は、イスラエルとアメリカにとって、かなりの衝撃を与えた。エルドアン首相は、一言も「イスラエル」とも「ユダヤ人」とも言わなかったが、「あなたは、人殺しの仕方をよく知っている。我々は、浜辺にいた子どもたちを、どのように狙い、どのように殺害したかをよく知っている」などと発言した。<br />
他の国の首相が、イスラエルの大統領に向かってこのような発言をすれば、「反ユダヤ主義」として囂々たる非難を浴びることは確実である。だが、イスラエル政府も、オバマ政権も、この発言をめぐってトルコを公然と非難しなかった。逆に、クリントン国務長官は就任直後にトルコを訪問し、今回のオバマ訪トを知らせている。<br />
つまり、中東で唯一イスラエルと軍事協力関係をもつトルコ、唯一のNATO加盟国であるトルコを、イスラエルから離反させるのは危険すぎるという判断をオバマ政権がしたと読むことができる。実際問題として、トルコ政府が言うようなイスラエル・パレスチナ双方の仲介を実現するのはなかなか難しい。しかし、仲介努力のできる同盟国を失う愚をオバマ政権は犯せないのである。</p>

<p>３．イランの核問題についてトルコができることは限定的である。直接、イランに介入して、核開発を抑止することはできない。しかし、アメリカ政府、イランの核開発を最大の脅威と受け止めているイスラエル政府の両者が、「何を最後の一線と考えているか」「何を踏み越えたらイランを攻撃するか」について、正確な情報を伝達する役割をトルコに担わせるのは妥当である。トルコとイランとのあいだには、外交上の問題がほとんどない。イランは天然ガス等をトルコに供給しているし、クルド問題では、イラク北部に拠点を持つ極左ゲリラ（トルコ側で活動するPKK、イラン側で活動するPJAK)を掃討しようとしている点で、両国は利害を共有する。両国首脳の往来は活発であるところから、少なくとも、トルコがアメリカ・イスラエルの真意と警告を伝える役割を担えることは確かである。</p>

<p>４．イラクからの米軍撤収に関して、アメリカ政府は、北のクルド地域を経て、トルコ側に入り、トルコ東南部のインジルリッキ空軍基地を使用する（もしくはイスケンデルンなどの軍港）ことを要請し、トルコ政府も受諾する方針を示している。長期にわたる撤収作業は、トルコ側の貧困地域である東南部（クルド人の多い地域）にキャッシュを落とすという経済効果が見込める。経済危機の現在、このような地域経済活性化策は、トルコにとって望ましいものである。このルートでの安全かつ迅速な撤収作業を行うことは、「イラクから軍を撤収させること」を公約としてきたオバマ政権にとっては極めて重要な意味を持つ。ベトナム戦争の最後のように、追撃されて、出て行くというようなみっともない姿をさらすことはできない。</p>

<p>５．イラク撤収に際して、最もセンシテイブな問題が、北イラクのクルド自治政府の独立・自立要求である。自立を強める、あるいは独立に近づけば、イラクの統一を危うくする。統一国家の体裁は維持させつつ、しかし、イラク戦争から現在まで一貫して米軍駐留と統治を支持してきたクルド自治政府を放り出すこともできない。<br />
では、何をどこまで実現させるのか？中東にとって、新たな火種となりかねない重要な懸案がこの点にある。<br />
クルド地域にあるキルクーク（大油田地帯）をクルド自治政府に帰属させるのか、させないのかをめぐる住民投票は、本来なら2007年末に実施の予定だったが、いまだに延期されたままになっている。その間も、クルド自治政府は、イラク中央政府を通さずに、外国企業の参入や投資を受け入れており、このことが、中央政府の分裂と内戦の危機に直結していることは言うまでもない。仮に、キルクークをクルド自治政府に帰属させるなら、資源を失うスンニー派勢力は、クルド自治政府に対する攻撃やテロを活発化させるだろう。</p>

<p>６．その１でも指摘したが、アフガニスタンの治安回復とタリバン掃討を成功させることができるか否かは、隣国パキスタンの統治能力にかかっている。ムシャッラフ前政権は、彼が軍人出身だったことから、軍事力を効果的に使うことで、イスラーム過激派勢力を、カシミールに追いやることには成功した。つまり、パキスタン全土で、次から次へとイスラーム過激派（政権に対して暴力的なジハードを敢行する勢力）を一定の領域に隔離することはできたのである。しかし、これは不徹底であったし、ムシャッラフ政権が、欧米からの民主化圧力を受けて退陣したことで、重しははずれてしまった。アフガニスタンとの国境地域は、部族間関係がきわめて錯綜しており、この地域を統治するには、武力、資金、交渉という三つを巧みに使い分けなければならない。現在のザルダリ政権がその能力をもっているようには見えない。<br />
この状況で、アフガニスタンをテロとの戦いの主戦場にするというオバマ大統領就任直後の「宣言」は、いささか勇み足であった。パキスタンとアフガニスタン、二つの国を安定化させ、テロリストの巣窟、あるいは反米武装勢力の巣窟にさせないというのは、短期的にはほとんど不可能といってよい。<br />
アフガニスタンとの国境地域をNATO軍に空爆させるというのは、部族勢力の激しい反発を招き、第二、第三のムンバイ・テロを引き起こす危険がある。実際、あのテロでさえ、必ずしもインドを標的にする必要はなかったのであって、パキスタンの現政権にダメージを与えるような大規模テロが起きるリスクは高い。<br />
ここをなんとかするために、トルコとパキスタンとの長年にわたる、いわく言い難いほどの友好・親密な関係を利用することは、オバマ政権の対テロ戦争の成否にとって、かなり重要な鍵となろう。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/post-13.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/post-13.html</guid>
            
            
            <pubDate>Mon, 06 Apr 2009 01:18:12 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>オバマは、なぜトルコを最初の訪問国に選んだのか（その１：NATO事務総長問題）</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>G20からNATO,そしてトルコへ</strong><br />
オバマ外交の最初の舞台はG20、次はドイツのケールで開催されたNATO首脳会議、そして最後がトルコ訪問である。個別の国として、トルコを最初の訪問国に選んだのはオバマ政権が初めてである。そこには、オバマの対中東・イスラーム圏政策と「テロとの戦い」に関して、トルコをキー･プレーヤーと認めざるを得ない状況がある。</p>

<p><strong>NATO次期事務総長選任をめぐって抵抗したトルコ</strong><br />
4月3日、デンマーク各紙は、ラスムッセン首相がNATOの次期事務総長に選ばれるだろうという観測記事を掲載していた。だが、4日の朝になっても、事務総長の選任で首脳会議は合意に達しなかった。最終的に、ラスムッセン首相が事務総長（2009年8月1日～）に選ばれたのは、4日の夕刻だった。<br />
全会一致が原則の事務総長選考が難航したのは、トルコが、「デンマークのラスムッセン首相」案に抵抗したためである。<br />
トルコは、なぜ抵抗したのか？主な理由は2点である。<br />
１．トルコからの分離独立を主張する極左ゲリラ組織のＰＫＫ（クルディスタン労働者党）は、デンマークに拠点をもつRoj TVという衛星放送局を宣伝放送に使っている。トルコ政府は、再三にわたってデンマーク政府に対し、この放送局が、テロを煽動し、少年・少女をゲリラとしてリクルートしているところから、閉鎖を要求してきたがデンマーク政府はこれまで応じなかった。PKKについては、EUもすでに2002年にテロ組織と認定しているほか、米国政府、日本政府、イラク政府もテロ組織とみなしている。このRoj TVは、その前身にあたる放送局が、英国とフランスにあったのだが、いずれも独立放送委員会から「テロ煽動」にあたるとして閉鎖させられ、EU諸国で最も放送の自由度が高いデンマークに局を移転した。デンマークの放送法が、高度な自由を保障していることは良く知られているが、EUそのものがテロ組織と認定した組織のプロパガンダ放送をRojが担ってきたことも確かである。<br />
2．デンマークでは2005～06年にかけて、保守系の新聞「ユランズ・ポステン」がイスラームの預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことで、イスラーム世界とのあいだに衝突を引き起こした。欧米諸国や日本では、「新聞社が風刺画を掲載したから、イスラーム過激派がテロや暴動を起こした」と伝えられてきたので、直接の責任主体がユランズ･ポステンや、同じ風刺画を掲載したマスコミ各社にあると思われがちだが、事件を拡大させた直接の責任者は、ラスムッセン首相である。<br />
首相が、政府として一新聞社の報道の自由を規制できないとした点にはなんら問題はないのだが、ラスムッセンは、事件後に、同じユランズ･ポステン紙とのインタビューで、事態を「表現の自由VS宗教的過激主義」にすりかえてしまった。そのため、OIC(イスラーム諸国会議機構：イスラーム圏の国連のような組織）も激しく非難した。<br />
イスラーム諸国の側も、事が一新聞社の範囲ならば、そのうち事態を沈静化させることができたのだが、表現の自由VS宗教過激主義とデンマーク首相に言われては、喧嘩を受けて立たざるを得なくなった。</p>

<p>トルコが、ラスムッセンのNATO事務総長に反対したのはこのためである。<br />
トルコのエルドアン政権は、イスラームを政治に反映させたい。与党の公正・発展党も、もともとイスラーム主義政党の流れをくんでいるし、政権の中枢には、かなり明確にイスラーム主義を支持する政治家たちがいる。したがって、他のイスラーム諸国からも、「ラスムッセンがNATO事務総長として、アフガニスタンの治安維持問題などに口を出すのは反対」という意見が出ていた。<br />
さらに、デンマークのラスムッセン政権は右派で、ドイツ、フランス、オランダ、オーストリアなどと歩調を揃え、トルコのEU加盟に反対していたことも背景にある。</p>

<p><strong>トルコは、なぜ最終的にラスムッセンに同意したのか</strong><br />
トルコからNATO首脳会議に出席していたのはギュル大統領とババジャン外相である。両首脳とも、欧米加盟国に対して異議を唱えてきたが、最終的に、トルコ政府はラスムッセンに同意した。<br />
この途中で、NATOとは関係ないEUの拡大委員長オッリー・レーン（フィンランド）が、事務総長人事に抵抗することが、あたかもトルコのEU加盟に災いするかのような発言をした。ギュル大統領は、これに強い不快感を示したが、当然であろう。EU拡大担当であろうと、NATO首脳会議に絡んだ発言をするのは越権である。<br />
トルコがラスムッセン人事に同意を与える代わりに何を得たか？<br />
これは、現段階ではトルコ側報道によれば以下の通りである</p>

<p>①PKK宣伝放送をしているRoj TVの閉鎖<br />
②アフガニスタンに派遣されるNATO軍の文民代表をトルコ人にする（これは前例があるので二度目）<br />
③NATO事務総長に次ぐ文官ポストにトルコ人を就任させる<br />
④トルコで開催する「文明間同盟」国際会議にラスムッセン首相を招き、「預言者ムハンマド風刺画事件」について陳謝させる</p>

<p>★ただし、これらの点について5，6日のデンマーク各紙は、ラスムッセン首相の「妥協」を批判し、これに対してラスムッセン首相は、とくにRoj TVの閉鎖問題について「あくまで司法が判断することで自分が決めることはできない」旨、発言している。この問題については、ケールでのNATO首脳会議の際、エルドアン首相を説得していたというイタリアのベルルスコーニ首相が、「ラスムッセン首相はRoj TV閉鎖を認める発言をした」とイタリアでは報道されているが、確認はとれていない。</p>

<p><strong>オバマの「対テロ戦争」戦略にとっての意味</strong><br />
テロとの戦いの主戦場をアフガニスタンにすると宣言したオバマ大統領にとって、NATO加盟国のなかで、兵員がムスリムで構成されるのはトルコのみである。すでにトルコはISAFに750人近い兵員を派遣しているが、不思議と、犠牲者が出ていない。イスラーム圏での治安維持活動に特殊なノウ・ハウを持っているからである。オバマ政権はこの点に注目し、アフガニスタンの治安回復とタリバン掃討作戦に、トルコ軍の増強を望むだろう。<br />
NATO事務総長の人事で、トルコがいわば切り札を握ったのは異例だが、今回の場合、オバマ新政権にとって、今後の対テロ戦争を成功させられるかどうかの試金石が、NATOからの兵員増強にあることに疑問の余地はない。<br />
だが、イラク戦争に関与していないカナダやドイツの兵士までが多数犠牲になっている現状で、ヨーロッパのNATO加盟国は、兵員増派を簡単に承認しにくい。トルコも原則的に国防に関係ない派兵は認めない。その典型的なケースが、湾岸戦争とイラク戦争における派兵拒否であった。<br />
だがその一方で、起こしてしまった戦争の後始末としての治安回復や復興には、トルコ軍もNATOもしくは国連軍の枠組みのなかで協力する。<br />
アフガニスタンを落ち着かせるには、隣国パキスタンを落ち着かせなければならない。これは各種イスラーム過激派勢力が、パキスタン側を拠点としていることから明らかである。しかし、パキスタンに武力行使をして、250を越す「ジハード組織」を壊滅することなど、まったく現実性がない。パキスタンのザルダリ政権には、軍を指揮することは難しい。<br />
ここにも、トルコ政府およびトルコ軍を頼りにせざるをえない理由がある。トルコ政府・軍ともに、パキスタンの政界、軍ときわめて緊密な協力関係にあるからである。地図をみれば明らかなように、両国は離れている。しかし、この緊密な盟友関係は無視できない力をもっているのである。</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/nato.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/nato.html</guid>
            
            
            <pubDate>Mon, 06 Apr 2009 00:18:16 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>トルコ統一地方選挙の結果と地域的な分裂傾向</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>与党支持は減少、しかし大きなうねりはなし</strong><br />
2009年3月29日、トルコでは、全国の市長村長（県知事は公選制を採っていない）および県議会議員選挙が行われた。結果は、国会での与党、公正・発展党(AKP)が票を減らし、野党の共和人民党(CHP)がやや支持を増やし、クルド政党の民主社会党(DTP)も確実にクルド地域を押さえた。<br />
2007年の総選挙で、与党は47％という驚異的な得票で政権基盤を安定させたかにみえた。しかし2009年春の段階では、支持率は全国で38％に減少している。大勢は変わらないのだが、地域別の支持政党をみると、深刻な問題が隠されていることがわかる。</p>

<p><strong>地域的な分裂傾向</strong><br />
もともと見られたことなので、取り立てて新しい現象とは思わないのだが、今回の統一地方選挙の結果、きれいに政党ごとに地域が分かれてしまった。</p>

<p>与党：公正・発展党(AKP)〔イスラーム主義、経済成長路線〕⇒まんべんなく勝利したが、以下の野党勝利地域を除く。</p>

<p>野党第1党：共和人民党(CHP)〔世俗主義、トルコ国家主義〕⇒エーゲ海から地中海沿岸地域（西部～南部地方）をおさえた。イスタンブルやアンカラなど大都市では、中間層～富裕層の集中する地域で勝利。伝統的に西欧化志向の強い地域、アタテュルクの建国の理念を支持する軍人・学生・中間層などの支持を得たものの、党首のデニズ・バイカルでは与党に勝てないと考える支持者は多く、今後、体制作りが大きな課題。要するに、与党に投票したくないから共和人民党に投票した人が多いという印象。</p>

<p>野党第2党：民族主義者行動党(MHP)〔トルコ民族主義、イスラーム勢力とは着かず離れず、クルドへの権利拡大に反対〕⇒沿岸部からもうひとつ内陸に入った地域で勝利</p>

<p>野党第3党：民主社会党(DTP)〔クルド民族主義、左派〕⇒東南部のクルド人地域で勝利。前回、与党に流れた票を回復。中心都市のディヤルバクルでは圧勝。</p>

<p>注目点：<br />
１．自治体の首長を獲得することはできなかったものの、AKPよりも保守的なイスラーム政党である至福党（SP)が、いくつかの自治体で伸長。公正・発展党の「穏健なイスラーム路線」が、昨年の憲法裁判所による「世俗主義違反」判決で停滞するなか、確信的なイスラーム主義政党が、コアなイスラーム主義者の票を取り込む傾向が見え始めた。<br />
２．クルド地域については、昨年11月にエルドアン首相が遊説に赴いた際、一部のクルド人から投石などの暴力行為がなされ、それにキレた首相が「好きになるか、出て行くか、どっちかにしろ」と発言したとされる。発言の真偽はいまひとつはっきりしないが、マスコミでは流布されている。このような態度が、もっぱら現物支給（選挙の前に、食料品、衣料品、燃料などが大量に貧困層に支給されること）によって、貧困層の多いクルド人の票を取り込んできた与党支持票を減らす原因になったという指摘は多い。<br />
３．イスラームか、世俗主義か、という論点では、世俗主義の擁護を明確に掲げてきた共和人民党の今後が注目される。この政党（前身も含めて）は、世俗主義とトルコ民族主義（トルコ共和国に対する忠誠を誓うトルコ国家主義）が混在している。世俗主義という点では、当然、イスラーム主義をひどく嫌うため、元来は、EU加盟支持で、「いつかヨーロッパになれば、イスラーム政党も衰退する」と単純に信じてきた支持層がいた。しかし、2006年に、南キプロス（ギリシャ系キプロス共和国）未承認問題でEUのいくつかの国がトルコの加盟交渉を阻止して以来、「世俗主義＝西欧化＝EU加盟が悲願」という図式が成り立たなくなった。世俗主義だが、ヨーロッパに擦り寄るのはやめようということになると、勢い、トルコ国家主義が前面に出てしまう。<br />
しかしそうなると、トルコ民族主義を標榜し、クルドの権利拡大にも反対する民族主義者行動党(MHP)に票を奪われる傾向がでてくる。ＭＨＰの方は、かつては極右民族主義政党とされていたが、現在は、建国の神話とアタテュルク主義を信奉する人々と、トルコ民族＋イスラームの融合路線こそトルコの進むべき道と信じる人々とが混在する状況。ただし、PKKによるテロが活発化した場合には、極度に高揚しトルコ民族主義を叫ぶ支持者が多い。</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/post-12.html</link>
            <guid>http://www.global-news.net/article/contents/2009/04/post-12.html</guid>
            
            
            <pubDate>Thu, 02 Apr 2009 13:41:23 +0900</pubDate>
        </item>
        
    </channel>
</rss>

