2011年2月 7日
内藤 正典
ムバラク政権打倒とエジプト民主化は失敗する?
どうなったら民主化は成功したことになるのか?
ムバラク大統領を権力の座から引き降ろしたとしても、エジプトにとって民主化は程遠い。仮に政権移譲が、スレイマン副大統領の手に移るなら、今以上にエジプトの民主化は危機に瀕するだろう。オマル・スレイマンは、2000年代以前はあまり氏名が公にされることはなかったが、情報機関の長を務めてきた人物であり、国内のイスラーム主義勢力をはじめ、反体制勢力を封じ込める、あるいは抹殺することに責任を負っていたはずである。今回の一連の騒擾の過程で、ムバラク大統領が永らく空席だった副大統領職にスレイマン氏を任命したということは、今後、仮に権力委譲が行われても、厳しい言論統制や反体制活動への弾圧は継続することを宣言したに等しい。
当然のことながら、もし、エジプト市民が民主化を望むなら、スレイマン副大統領への権力委譲など論外である。しかし、アメリカやイスラエルは、老練な(75歳を超えている)スレイマン氏に権力を委譲した後、野党勢力も参加する統治機構を望んでいるように報道されている。どこまで真意かは不明だが、もし、オバマ政権が本気でそのような政治プロセスを期待しているのなら、それはイスラエルにとってもっとも望ましい形態ではあるが、エジプト市民にとっても、パレスチナにとっても、何のプラスにもならないばかりか、かえって事態を悪化させる変革ということになろう。
エジプトに限らず、中東のアラブ諸国にとって民主化最大の障害は情報警察機構である。今回、取材の為にエジプトに入ったメディアには「軍」が重要に見えているかもしれないが、とにかく始末が悪いのは、情報機関である。始末が悪いというのは、民主化にとっての話であり、大混乱に陥らせないために危険人物を一掃するのが情報警察の任務だから、統治にとっては必要不可欠な存在でもある。したがって、その長が副大統領になって、暫定的に権力をムバラクから委譲されるというのは、ムバラクにとって危険な勢力をもう一度クリーンアップするということであり、ムバラクの(あと何年続くか知らないが)安楽な老後を担保してやるだけのことである。
穏健なイスラーム原理主義組織ムスリム同胞団?
日本の報道で、もっとも奇妙な表現が、最大野党勢力とされるムスリム同胞団に対する「穏健なイスラーム原理主義」というレッテルだった。実際、ある民放局がテロップで使っていた。見ていて思わず笑ってしまったが、いったいどういう組織なのか?イスラーム原理主義組織というのは、暴力で政権奪取を志向するイスラーム主義の組織だろう。それが穏健だというのは矛盾である。このあたりに、ムスリム同胞団の性格を日本のメディアがさっぱり把握していないことが表れている。ムスリム同胞団そのものは、実はエジプトだけでなく各国にある。あるいはあった。同胞団の研究は、日本では、日本大学の横田貴之准教授がほぼ唯一の専門家なので、詳細は横田氏の研究を参照されたい。シリアにもムスリム同胞団はあったが、1980年代の初頭に当時のハーフィズ・アサド大統領政権下で、きれいに一掃された。アサド政権というのは、強権的に政敵を抹殺することにかけては実にきれいな仕事をする。いったい何人消したかはわからないが、その後、ほとんど政治問題にならなかったところをみると、よほど見事に消したのだろう。一方、エジプトの同胞団は、だんだん骨を抜かれて生き残った。先鋭化してムバラク政権に抵抗した人々は、やはり消されていったか、アイマン・ザワヒリのように世界に散らばって武装闘争を続けている。日本人も多くが犠牲になった1997年のルクソールでの観光客殺害事件の首謀者たちも、元はムスリム同胞団と近い関係にあったが、その後、牙を抜かれて体制内改革を志向するようになった同胞団とは袂を分かった勢力であった。いま、テレビなどに登場するムスリム同胞団の面々を見ればすぐにわかるが、ネクタイを締めてスーツを着ている。少なくとも、イスラーム主義にたって政権奪取を図るような人たちは、ああいう姿では絶対に登場しない。マオカラーのシャツにジャケットスタイル(イランの知識人に多い)か、頭にターバンを載せてくる。
あの姿をみただけで、現在のエジプトのムスリム同胞団が、いかに既存の体制内で地歩を固めたがっているかがわかる。そこで、彼らが、新たにエジプトの政党として認知されるかどうかが次の課題となる。入れば、民主化には一定の進展はありうる。入らなければ、エジプトは何も変わらない。
世俗勢力に期待しても民主化は進まない
いい加減、欧米や日本も気づくべきだが、ムスリムがマジョリティを占めている社会で、民主化、あるいは政治的なプロセスとしての民主主義なるものを実現したいのならば、イスラーム主義に基づく勢力を排除できない。欧米諸国の期待に反して、世俗的な政治勢力だけで国を運営することは、もはや不可能なのである。その際、もう一つ、理解しておくべきことは、イスラーム主義勢力(イスラームによる統治を望む勢力)を「穏健」と「過激」に分類しても意味がないことである。この線引きは、非ムスリムが、自分たちの諸国家体制にとって都合の良い「穏健派」の伸長を期待しているために、しばしばジャーナリズムにも登場するが、ムスリムにとってはまったく意味がない。もともと、「イスラーム原理主義」の用語でさえ、イラン革命で慌てたアメリカで生まれたのであって、ムスリムが自分で原理主義を名乗ったのではない。過激派に原理主義のレッテルを貼ったのはアメリカである。ムスリムにとっては、イスラーム的に正しい統治を望んでいるだけであって、それが平和裏に行われる可能性が担保されているなら過激な武装闘争はしないし、弾圧に次ぐ弾圧で事態を改善できなければ、前任者のサダトが暗殺されたように、暴力的に退場させることもありうる。
民主化デモの失敗?
これまでの状況をみるかぎり、今回の民主化要求は失敗するだろう。ムバラクへの嫌気は消えないから、統治にとってマイナスになるムバラク自身は退場を余儀なくされるだろうが、穏便な権力委譲のあいだに、彼とその家族は私財を安全な場所に移動させて余生を送る算段をつけようとするはずである。スレイマン副大統領が実権を掌握すると、場合によってはムバラク自身が危うくなるかもしれない。それは、情報機関、軍、警察など各種の暴力装置をどこまでスレイマン自身が掌握するかにかかっている。
欧米から一定の期待を集めたエルバラダイのような人物には、到底、情報機関や軍を掌握することはできない。よく言われるように、エジプトの統治には、一種のファラオ的独裁者がいないと、どうにも機能しない部分がある。もちろん、そういうものを一掃してまっさらな民主化を構想することはできるだろうが、あまりに非現実的といわざるを得ないのである。エルバラダイの市民への呼びかけは、英語とアラビア語双方で聞いたが、到底、ファラオ的カリスマ性がない。あんなに、つっかえつっかえ喋る人物はエジプトの統治者には向かない。仮に彼が外圧で要職についても、統治はできないだろう。
今回のデモが、わりあいと派手に実現できたのは、各種の暴力装置が、状況把握と、今後の進路を見極めるために、民衆を泳がせたからにすぎない。それに、民衆には、体制変革にとことんつきあうほどの熱意はあるまい。一言で言えば、飽きっぽいのである。face bookやtwitterのようなSNSは、騒擾を惹起させるには有効なツールだが、騒擾の先のヴィジョンをつくれる装置ではない。そこに今回の民主化デモの限界がある。