2010年10月11日
加藤 千洋

劉氏のノーベル平和賞が語るもの

北京のシンボル、故宮の表門である天安門の下に私は立っていた。目の前の天安門広場一帯で展開する光景を見て、足もとがぐらぐらと揺れた。もちろんそれは錯覚である。恐怖と興奮がないまぜになって膝ががくがくとし、それで大地が揺れ動いたように感じただけである。
目にしたのは1989年6月4日未明に起きた、あの学生らによる民主化要求運動を人民解放軍が武力鎮圧した天安門事件だった。今回、ノーベル平和賞を受賞した中国の民主化活動家、劉暁波も2日前から広場でハンストに入って、その渦中にいた。
私から30㍍ほど離れたところで装甲車がバリケードに進路を阻まれ立ち往生した。10数人の群衆が取り囲み、棒きれや竹ザオでたたく。誰かが火をつけたらしい。内部の温度が上昇したのか、装甲車のハッチが開き、兵士らが飛び出してきた。群衆が追いかけ、兵士は頭を押さえて逃げ惑う。ふと広場西南側の人民大会堂に目をやると、もう一台、装甲車がすでにもうもうと煙を上げて炎上していた。やがて修羅場と化す広場の、それが序幕だった。
それだけを見て私は現場を離れた。当時は雑誌「アエラ」の特派員として東京から出張で来ていた。北京では携帯電話サービスが始まって間もなくだったが、私は持っていなかった。まずは「武力行使始まる」の第一報を近くのホテル・北京飯店からと考えて離脱したのである。
でも、その後はもう広場付近には戻れなかった。ホテル前には外国人記者や市民が集まっていたが、我々の頭上を特殊弾が唸りを上げてかすめる。ホテル正面玄関のガラスが被弾して何枚も割れた。間もなく広場方向からシャツを血で染めた負傷者が続々と逃げてきた。生死不詳の若者を戸板に乗せて病院へ急ぐ学生らの姿も。威かく弾なのか、銃声が続く一方で、走り回る救急車のサイレンも響き渡った。
広場にはハンスト学生や同調する劉暁波ら知識人や労働者、地方からやってきた学生らがまだまだたくさん残っていたはずだ。そこにキャタピラーをつけた鉄の塊が情け容赦なく襲いかかり、銃弾が放たれ、逃げ遅れて犠牲になった者が数多く出ている......。
絶対にそうだろうと思える事態だった。が、実際はそうではなかった。
広場の学生のほとんどが武力鎮圧の直前に自主的に広場を離れ、広場の上での流血の事態は基本的に回避されたのである。この「無血退場」の実現に奔走した男たちがいた。その1人が劉暁波だった。
当時、劉は北京師範大学講師で新進の文芸評論家として若い世代の人気者だった。米国に滞在中に自分が属する大学の学生たちがリーダーとなった民主化運動が勃発。急きょ帰国し、兄貴分として運動を支援していたのだ。そして弾圧2日前に3人の仲間と「我々は死を求めるのではない。真の生を求めるのだ」とした宣言を発し、ハンストに入っていたのだ。そして事件後、最初に逮捕された有名知識人の第1号となった。
 出獄後、しばらく雌伏した彼が次に注目されたのは2008年12月のことだった。ネットを通じて発表された大胆な政治改革案「08憲章」の起草者としてだった。
 「憲章」は共産党の一党独裁体制を真っ向から批判し、三権分立、多党制、人権保障、言論・信仰の自由など19項目に主張をならべたもので、学者や弁護士ら303名の署名とともに公表されたも。起草作業は1年がかりで秘密裏に行われ、世界人権宣言60周年、中国の建国60周年に合わせて呼びかけられた。インパクトは大きく、賛同署名は間もなく1万人前後に達した。
 だが内容からして胡錦濤指導部が容認できるものではなかった。間もなく劉は「中心的な起草者」として拘束、起訴され、国家政権転覆扇動罪で懲役11年の有罪判決が下り、入獄した。
「中国国民は、自由・平等・人権が人類共通の普遍的価値であることを認識した」。劉が執筆したという「憲章」の基本理念はこう主張する。劉がわが身を犠牲にしてまで訴え続けてきた基本理念を、ノルウェーのノーベル平和賞委員会は高く評価したのであろう。
 21年前の天安門事件は、私も目撃したように確かに「武力」によって一掃された。だがそれは大地の表に生えた草が草刈り機で刈り取られただけで、草の根は土中にしっかりと残った。根がある限り、春が来れば草は芽を出すだろう。中国の民主化運動は、どういう形にせよ、これからも続くことは間違いない。
他方で任期が残すところ2年となった胡錦濤政権が大胆な政治改革に踏み切る可能性はますます小さい。劉暁波の今回の賞も「ノーベル平和賞は西側の政治的道具だ」と黙殺。「共産党がすべてを指導する」という体制への批判は一切許さないという硬い姿勢を堅持する。
世界第2の経済大国となった中国の「柔らかい経済」と「硬い政治」のアンバランスは、すでに限界まで来ている。             (止)

コメンター別アーカイブ 時系列順アーカイブ 関連リンク お問い合わせ