2010年9月28日
加藤 千洋

「尖閣」にちらつく米国の影


 海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で東シナ海に浮かぶ5つの小島
の存在が再びクローズアップされた。事件をめぐる両国の対応には様々な
声が飛び交っているが、それはしばらく置くとして、この尖閣諸島を実効
支配する日本政府は「古来、日本の固有の領土であった」「少なくとも1
20年余りの間、中国は実効支配したことはない」「したがって領土問題
は存在しないし、今後もあり得ない」との立場を崩さない。
 だが他方で日本政府は韓国が実効支配する竹島とロシアが抑える北方四
島では逆に「領土問題」の存在をアピールする。それぞれの問題には固有
の歴史的背景、経緯があり、単純な比較は禁物ではある。しかし、この日
本政府の二つの立場に疑問の余地がまったくないのか。尖閣問題が今後も
外交問題として争点化する可能性はないかといえば、そうとは言い切れな
いものがある。
 中国側には尖閣問題を複雑化させた背景には、戦後の米軍が沖縄を占領下
に置いた際、尖閣諸島も支配下に組み入れたことが影響したとの見方がある
という。
 第2次世界大戦に敗れた日本はポツダム宣言を受諾した。同宣言には「カ
イロ宣言の条項は履行せらるべく」とうたわれていた。結果、日本はカイロ
宣言に基づき、日清戦争で清国から割譲された台湾と澎湖諸島などの領有を
放棄した。ここで注意しなければならないのは、日本政府は放棄しただけで、
放棄後の台湾などの帰属先には関与していないとの立場であること。そして
放棄した領土に固有の領土であった尖閣諸島は含まれていないとの立場であ
る点だ。だから沖縄とともに米軍占領下に組み入れられたと解釈する。
 1943年11月のカイロ宣言の当事国は、英米2カ国と中華人民共和国
の成立前の中華民国であったが、現在、中国政府は釣魚島(尖閣諸島の中国
名)はもともと(中国の一部である)台湾に属していたと主張。日本のポツ
ダム宣言受諾で釣魚島は台湾とともに祖国に戻ってきたと解釈する。ここが
日本政府と見解を異にする点だ。
 第2次大戦後に尖閣諸島が沖縄と一体で米軍支配下に組み入れられた当時
はすでに冷戦体制下にあり、米国という後ろ盾を必要とした台湾の国民党政
府は異議申し立てをした形跡はないようだ。中国から声が上がったとも聞か
ない。
 その後久しく話題にならなかった尖閣諸島の存在がクローズアップされた
のは1960年代末のことだ。その理由を日本のメディアの多くは国連調査
によって尖閣諸島周辺の海底に石油資源の埋蔵が確認されたためだ解説する。
中国側もこの点に目したが、ある意味でそれ以上に注目していたのは沖縄返
還交渉で日米両国が尖閣諸島を沖縄の一部として処理した点だったかもしれ
ない。
 では尖閣諸島を沖縄の一部として扱った米国の意図はどこにあったのか。
将来のアジア支配の布石として、あえて日中間に「尖閣という火種」を作っ
たとの見方が中国側には根強くあるという。果たしてそうだったのか。意図
したかどうかは別にして、結果的には日中関係に刺さったトゲとなったのは、
今回の事態でも明らかである。
 その後の日中間では78年に締結された日中平和友好条約交渉の際、中国
の最高実力者、鄧小平の提案で尖閣問題は棚上げされていた。中国側には経
済建設のためには日本から協力を取り付ける必要があったからだろう。
 ところが中国が高度成長をとげて力をつけるにつれ事情は変化し始めた。
中国は東シナ海の漁業資源や海底資源の確保に目を向けるようになり、92
年に制定した領海法で尖閣諸島を領土として明記。そして今やスプラトリー
諸島をめぐって係争がある南シナ海だけでなく、東シナ海の支配権確立を台
湾の統一実現やチベット自治区、新疆ウイグル自治区の独立阻止とともに4
つ目の「核心的利益」に格上げし、海洋進出をにらみ海軍力の増強をすすめ
ている。
 今回の尖閣問題の再燃に米国政府は日中両国の対話を求めて「静観」を決め
込む。今回の日米外相会談ではクリントン国務長官が尖閣諸島が日米安保条約
の対象であると明言したようだが、このところ対中配慮もあって「あいまい戦
略」に徹しているようにも見える。
 今年、中国はGDPで日本を追い越し、日中逆転が確実とされる。日本は質
的な面での優位はなおしばらく保てるかもしれないが、量的な面では今後ます
ます中国優位に傾くだろう。こうした地政学的ともいえる情勢変化の中で、小
さな島の問題がますます複雑化する可能性は小さくないと覚悟せねばなるまい。
                                (止) 

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