2010年2月25日
内藤 正典
トルコ検察、軍幹部を逮捕
『鉄槌』計画
2月23日、トルコのイスタンブル地検は、軍幹部がコードネーム『鉄槌』(Balyoz)というテロ・組織犯罪に関与したとして、退役司令官、現役将官ら50人近くを逮捕・拘留した。
逮捕者には元空軍司令官、海軍司令官、参謀次長(後に第一軍管区司令官)など軍トップを含むほか、現役の海軍少将、准将らもおり、軍が組織的に犯罪を計画したという容疑である。計画は、トルコの航空機を墜落させたり、モスクを爆破するなどのテロを起こして社会不安を煽り、政権を不安定化させ、政党の事態収拾能力を失わせて転覆を謀るというものらしい。(詳細は明らかでない)
現在の公正・発展党(AKP)政権は、イスラーム主義者を核としており、トルコ共和国の憲法原則である政教分離(世俗主義)を切り崩したい。それに対して、世俗主義の決然たる擁護者を自認する軍の不満が嵩じている。このことが、背景を理解する最初の鍵となっている。
『鉄槌』計画より前、すでに公判が開始されているもう一つの政府転覆計画、コードネーム『エルゲネコン』(Ergenekon)がある。こちらも軍が関与したとされ、元幹部(大将クラスを含む)と将校、さらに世俗主義派のジャーナリスト、大学学長らが逮捕・起訴されている。ジャーナリストには、トルコ建国当初以来、世俗主義と国家主義を掲げてきたジュムフリーイェット紙のアンカラ支社長、学長ではイスタンブル大学の元学長等が逮捕されており、計画の内容として報じられたいくつかの暗殺事件との関連について、トルコ社会を不安に陥れた。不安は、事実だとしたら恐ろしいという意味(イスラーム主義者側の不安)と、そんなことに関与するはずはない、検察側の陰謀ではないかという不安(世俗主義者側の不安)の両方である。この事件での容疑者摘発には、携帯電話の盗聴が証拠としていくつも挙がったため、世俗主義者側は通信の秘密が守られていないことに対して、ひどく警戒を強めていた。
軍はどう動くか
『エルゲネコン』だけでもトルコ社会に大きな衝撃を与えたのだが、さらに、軍部の組織的関与に疑いのかかる『鉄槌』計画が摘発された衝撃は計り知れない。今回の事件では、元統合参謀本部のNo.2(参謀次長)が逮捕されているため、立件内容が事実ならば、陸海空軍およびジャンダルマ(治安維持軍)という4軍を統括する参謀本部自体の関与を疑われる。したがって、『エルゲネコン』疑惑と比べて決定的に重要な意味をもつことになる。
ことの真相は明らかでないが、構造的にみると、これらの「事件」には以下の2つの思惑が絡んでいる。
①軍が二度と政治に介入できないようにシビリアン・コントロールを確立したい政権側の思惑(保守的なイスラーム教徒国民は支持・軍に批判的な左派層の支持も取り込む)
②このままイスラーム政党が政権を担当すれば、国家原則の世俗主義が崩壊するという軍部の危機感(トルコ民族主義者のうち、西洋化志向が強く、イスラームに批判的な層の支持)
事実関係の究明がなされない段階でも、この両者の思惑が濃厚に作用していることはトルコ国民全体が気づいている。
摘発された軍にとって選択肢は2つしかない
1.クーデタを起こして公正・発展党政権を崩壊させる
2.二度と政治介入できないようシビリアン・コントロールに服する
外から見る限りシビリアン・コントロールに服することは、民主化の進展を表し、トルコにとってプラスと評価できる。実際、ヨーロッパ諸国(EU)は、そう評価するだろう。
しかし、イスラームの政治での復権が確実ななかで、世俗主義を維持する防波堤の役割を軍部が担っていたことも事実である。世俗主義という憲法原則に関する限り、最大の「護憲勢力」が軍であったことも否定できない。ここが、日本やヨーロッパ諸国とは大きく異なる点である。
今後の世界情勢にとって、ムスリム国家でありながら世俗主義を維持することには一定の意義がある。イスラーム主義のポピュリスト政権が、軍を動かしたり、軍事組織を私物化した場合の危険性は、イランやスーダンをみれば明らかである。トルコ軍がシビリアン・コントロールに服したとしても、いきなりイランのような国家に変貌することはありえない。しかし、象徴的な「歯止め」が崩れることの意味はあまりにも大きい。
検察の立場
もうひとつ興味深いアクターは検察である。共和国最高検察庁は、いまのところ、政権与党のイスラーム主義傾向に対して、憲法違反の疑いを強めている。2008年にも、公正・発展党が憲法第2条に規定された世俗主義条項に違反するとして、政党解散請求訴訟を憲法裁判所に起こしている。憲法裁判所は、ぎりぎりのところで却下したが、最高検は再度、与党を憲法違反で提訴するかもしれない。
その一方で、地検と警察は、軍幹部をふくむ今回の大量逮捕に踏み切っている。地検レベルでは、すでに、国家原則としての世俗主義を云々することはなく、テロ・組織犯罪であれば軍に対しても容赦しないという姿勢を明示した。
世俗主義者の側からみれば、すでに、検察の一角はイスラーム主義者によって切り崩されたとみるだろうし、イスラーム主義者の側からみれば、警察・地検が民主化して軍の特権構造に切り込んだと見ているだろう。
国家転覆や政権転覆の陰謀説に、トルコ国民はきわめて敏感であると同時に、すでに慣れっこになっている。実際、過去に軍は4回、政治に介入しているし、直近では1997年2月に当時の福祉党政権(現政権よりも保守的なイスラーム主義)を崩壊させた。しかしその後、EU加盟交渉にかすかな光が見え始めたこと、2002年以来政権の座にある公正・発展党(AKP)が、安定した経済発展に貢献したことなどもあって、軍は実力行使を控えている。国民も、過去半世紀にわたる「軍vs.政党」の確執による不安定に嫌気しており、世俗派であっても「好きじゃないが公正・発展党にやらせておこう」という市民は増加していた。
参謀総長の決断
現在の軍トップ、イルケル・バシュブウ参謀総長はどう動くか。彼は、前任のヤシャル・ンブユクアヌト参謀総長と比べると、表向きは地味で、その肉声はなかなか伝わらない。ブユクアヌト参謀総長が自分で記者会見を行って、しばしば与党を牽制したのに対し、バシュブウ参謀総長は、あまりぺらぺら喋らないし、ジャーナリストとの距離を一定に保っている。したがって、ポロッと口にしたことがマスコミによってリークされることも全くない。マスコミが観測記事を書くと、即座に、参謀本部のウエブサイトで「虚偽である」という素っ気ない警告が載る。バシュブウ参謀総長は、国軍のプリンシプルに対して極めて厳格である。国軍のプリンシプルというのは、憲法で規定されているとおり、統帥権をもつ大統領に服属することであるから、現在は、トルコにおけるもっとも傑出したイスラーム主義の政治家だったアブドゥッラー・ギュル大統領に従わなければならない。
これは推測だが、バシュブウ参謀総長としては、いかに政治的なイデオロギーが違っていようと、大統領に逆らうことは(軍の最高責任者として憲法に反することであるがゆえに)できない。その一方で、建国の父アタテュルク以来の鉄則を、国家元首をふくむ政権側が破るのであれば、決然と対決しなければならない。
参謀総長は、この二つの「プリンシプル」の狭間で、決断を下すことになる。