2009年11月 7日
内藤 正典

米軍基地での銃乱射事件の重大性

確信犯的なテロか?
 米国、フォート・フッド陸軍基地で、昨日発生したニダル・マリク・ハサン軍医少佐による銃乱射事件は、動機の解明によっては、重大な問題に発展する。
 ハサン少佐は、パレスチナ出身の両親をもつと報道されているが両親はすでに死亡しており、本人は、米国ヴァージニア州の生まれだという。独身だが、敬虔なムスリム(イスラム教徒)で、通っていたモスクのイスラム指導者によると、同じく敬虔なムスリム女性を妻に迎えたい意向であったという。(以上の報道はBBC、Washington Post等による)
 彼は、近くアフガニスタン?に派遣されることを忌避していたという。同時に、精神科医として、アフガン、イラク帰還兵のPTSDなど精神疾患の治療にあたっていた。
 彼の患者だった米兵たちは、イラクやアフガニスタンで大変な恐怖を味わったことでPTSDなどの精神疾患をわずらったのだが、恐怖の中心は、現地のイスラム武装勢力などから攻撃を受けたことによるものであろう。兵士たち自身、負傷したかもしれないし、仲間の兵士の死を目の当たりにしたかもしれない。
 いずれにせよ、ハサン少佐が職務として診察しなければならない相手は、イスラム教徒によって攻撃を受けた兵士であり、彼らが現地のイスラム教徒に対して極めて強い敵意を抱いていたことは容易に想像できる。
 カウンセリングや治療に際して、兵士たちから当然、従軍中のエピソードを聴取する必要があるから、イスラム教徒に対する罵詈雑言の類を聞かされていたことも想像に難くない。
 ハサンが敬虔なムスリム(イスラム教徒)だったのであれば、これは、想像を絶する苦痛である。本人は、ムスリムとして、アメリカがイラクやアフガニスタンで行った(意図せざる結果であったにせよ)非戦闘員に対する攻撃や殺人という行為を断じて容認できるはずがない。イラク戦争にせよ、アフガニスタンでの「不朽の自由」作戦にせよ、ターゲットとしたはずのイスラム武装勢力のみならず、一般市民の犠牲者が多数出たことは周知の事実である。
 日常的に、同僚の米軍兵士からは、イスラム教徒に対する罵詈雑言を聞かされ、しかも、それを口にしている兵士自身を医師として診なければならないというのは、日々、身を引き裂かれる思いであったと推測できる。
 そのため、医師であり軍人であるハサン自身が、精神を病んだ可能性は大いにある。だが、本人の精神鑑定の結果が公表されない限り、動機については解明しようがない。さらに、軍基地内でのテロであるため、当然、機密が保持され、戦意を喪失させてはならないという条件もあるから、どこまで公表されるか、どのように公表されるかについて透明性を保証できない。
 「神は偉大なり」と叫んだとすれば
 ハサンが「神は偉大なり」と叫びながら銃を乱射したことが報じられている。これが事実だとすると、犯人は、何らかの意味でイスラム的に正しい行為をしたと思い込んでいたことになる。この点は、本件がどのように政治的に利用されるかを考えると重大である。
 精神の平衡を失っておらず、しかも、神の名を口にしながら犯行に及んだとなれば、確信犯的なテロリストである。アル・カーイダやタリバンのように、無差別に殺人を繰り返す集団と同じことになり、本人がいくら神の名を口にしても、イスラム的に正当化できない。イスラムは、厳格に、理由なき殺人を禁じるからである。
ただし、イスラムは同害報復は認めている。アフガニスタンやイラクで犠牲になった同胞への報復として、米兵を殺害したと本人が主張すると、あまりに危険な結果をもたらす。
 一方、精神の平衡を失ったうえで、神の名を口にして犯行に及んだのであれば、今度は、精神が錯乱したうえでイスラム的行為を偽装したことになる。
 問題は、本件が、今後、どちらの線で解釈され、「解明」されるかにある。前者の線でいくならば、米軍内部にテロリストがいたことになり、テロを未然に防げなかった軍と政府の責任が追及される。軍にとっても、政府にとっても、これほどの失態はない。失態の追及をかわすには、犯人の残虐性、イスラムの危険性を、一層、強く主張せざるをえなくなる。
 結果的に、イスラム教徒に対する不信とテロのイメージが強化される。在米ムスリムにとっては、9・11以来の偏見と差別を改めて強化させてしまう結果を招く。
 また、アル・カーイダなどイスラムから逸脱した暴力を正当化する組織が、ハサンの犯行を賞賛するようなことをすれば、世界的なレベルでイスラム・フォビア(反イスラム感情)を増悪させる結果となる。
 この事件が、重大な意味をもつのは、本人が確信犯的に、すなわち、同僚である米軍兵士に対して、アル・カーイダが主張するような逸脱した暴力を行使したと結論づけられた場合、イスラムと欧米世界との関係を一層悪化させる点にある。
 イスラムとの融和を訴えたオバマ政権にとっても強烈なダメージとなり、アフガニスタンでの強硬策を主張する勢力を勢いづかせることになる。

狂気の果ての犯行とすると
 ハサン少佐が、精神を病んだうえで凶行に及んだということになると、政治的な混乱と暴力の連鎖は回避される。ただし、なぜ、精神の平衡を失うに至ったかを考えると、単に米軍でも米政府でもなく、米国社会全体が受けるダメージが大きい。
 パレスチナ出身者で敬虔なムスリムである米国市民ニダル・マリク・ハサンの、軍に対する忠誠の誓いを信頼し、平等に処遇したのは米国的な開かれた平等性の証である。しかし、同時に、パレスチナ系であり、ムスリムである彼が、この任務で、どれほどの精神的ストレスと苦痛に苛まれるかを斟酌しなかったのも米国的処遇の結果ということになる。
 米国に忠誠を誓ったがゆえに信頼していたら、ひどい精神的苦痛を受け、ついに正気を失って凶行に至ったということになるのだが、焦点となるのは、米国の世論が、「ひどい精神的苦痛」の部分を理解できるかどうかという点である。理解できるのであれば、冷静に対処することが可能であろうし、これまで幾度も起きてきた銃乱射事件と同様に処理されるだろう。しかし、理解できれなければ、ハサンは国家に対する裏切り者であり、裏切り者となった原因が、パレスチナ系という民族的出自、あるいはムスリムであるという宗教的アイデンティテイに帰せられることになるからである。
 現実的に考えれば、ハサン少佐は、その人生の途中まで、アメリカ合衆国と米軍に忠誠を誓う意志をもっていたことは確かである。両親がパレスチナ出身者であったなら、パレスチナ問題に冠する米国の親イスラエル政策に対しては、当初、さほどの嫌悪を抱いていなかったことになる。
 その一方、9・11以降の米国社会、あるいは広く西欧社会でのイスラム・フォビアと、テロを起こしたアル・カーイダなどの暴力との狭間で苦悩したはずである。軍での少佐個人に対する嫌がらせが、その苦悩をより深いものにした。その結果として、精神を病んで今回の銃乱射というテロに至ったというのが、非ムスリムからみた場合の、ありうべきシナリオとなろう。しかし、問題は、彼の苦悩の深さにある。イスラムは神の法である。人の定めた法だけが苦悩の原因なら、法的解決もありえただろう。(例えば侮辱した同僚を告発するとか、自ら除隊するとか)だが、彼はアフガニスタン?への派遣が目前に迫るまで、除隊を望んでいなかったようである。ということは、軍務という仕事もまた、彼の人生の目的になるほど重要な位置を占めていたことになる。
 自ら人生の目標としてきた軍での仕事と、神の法によるムスリムへの攻撃禁止という2つが矛盾するとき、信仰をもたない人間には想像できないほどの苦しみを味わうことになる。敬虔なムスリムになればなるほど、イスラムにおける「聖俗不可分」の原則は、人間にはどうにもならないほど重いものになるからである。
 
 
  
 

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