2009年4月 7日
内藤 正典
オバマ大統領、トルコ国会演説の意義
以下は4月6日にトルコ大国民議会で行われたオバマ大統領の演説そのものに対するコメントであって、中東外交に対する評価ではない。
入念な配慮と期待
4月6日に行われたオバマ大統領のトルコ大国民議会(一院制の国会)演説は、実に巧みに練り上げられたものであった。トルコを米国の対中東政策・対イスラーム圏外交・対テロ戦争の要と位置づけ、米国とトルコとの同盟関係を強調した。
そうでありながら、オバマには譲れないテーマがある。民主化とマイノリティ(クルド人)に対する配慮、米国内で民主党支持基盤であるアルメニア人の「虐殺」問題、イスラエルの生存権などである。
オバマ演説は、これらの諸点を盛り込みながら、トルコ国民の多数を苛立たせず、トルコ政府・与党を苛立たせることもなく、さらに、世俗主義政党の野党、民族主義政党の野党、クルド政党にまでも一定の配慮を示しながら30分の演説を終えた。
特筆すべきは、「米国はイスラームを敵視しない」と明言したうえで、米国にも家族にムスリがいる人々、ムスリムがマジョリティを占める国で暮らした経験をもつ米国市民も多い。オバマは「私もその一人だ」と述べた。その後、通訳が訳し終えるまで5秒の間をおき、議場から多くの拍手を浴びた。どの部分が「キメ台詞」であるかをよく心得ていた。
アルメニア問題についても、1915年から起きた悲劇についても触れなければならないとしながらも、在米・在仏アルメニア組織が要求する「虐殺」という表現を避け、ギュル大統領のアルメニア訪問や、長年にわたって閉鎖されてきたトルコ・アルメニア国境を再び開けるという前向きな姿勢を高く評価した。
クルド問題についても、トルコ政府が、国営放送でクルド語放送を始めたことを民族融和の象徴として評価しながら、PKK(クルド労働者党:トルコからの分離独立を主張する極左ゲリラ・テロ組織)については、「アル・カーイダと同様にテロ組織であり、米国・トルコ共通の敵」と断じた。この部分は、完全にトルコ政府・トルコ軍部・トルコ民族主義者の望んだとおりの発言である。
トルコをヨーロッパとみなす
さらに、トルコをヨーロッパの一部とみなし、これまでのトルコの改革努力を「EUに入れるか否かが問題ではなく、トルコ人自身にとって必要な改革」と評価したのだが、この台詞は、トルコ政府首脳が頻繁に使うものと完全に同じで、多くのトルコ国民には、ぐっとくる表現である。
EU加盟についても全面的な支持を表明し、トルコは海峡(イスタンブールのボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側にも領土を持つ)によってヨーロッパなのではなく、米国にとって重要なパートナーとしてヨーロッパなのだと、これもトルコ国民の積年のEU加盟に対する想いを、見事に代弁してみせた。
もっとも、フランスのサルコジ大統領は、オバマのEU加盟支持発言に「米国の知ったことではない。EU加盟はEUが決める」と反発しているが、オバマはこの種の反発を織り込んだうえで、あえてトルコを「世俗主義と民主主義の国家であり、かつムスリムの国」としたうえで、「ヨーロッパの一部」とみなす視点を一貫させた。米国のトルコ重視の姿勢は、EU諸国(イギリス、スペイン、イタリアを除く)をかなり苛立たせるものだった。
アフガニスタンを「テロとの戦い」の主戦場と位置づけるオバマ政権にとって、NATOがようやく増派を認めたものの、各加盟国の事情が異なるため、すんなりとはいかない状況にある。そこで、NATO加盟国でありながら、兵員はムスリムであるトルコが、アフガニスタンの治安回復とタリバン掃討(トルコ軍はイスラーム主義を容認しない)に多大の貢献をなしうると期待しているのであろう。
反イスラーム感情の否定とヨーロッパとの相違
オバマが、トルコをヨーロッパと認めつつ、イスラームを敵視しないと宣言した点は、ヨーロッパ諸国の反イスラーム感情から明確な距離をおく姿勢を示したものと言える。
EU加盟国をはじめ、西~北ヨーロッパ諸国では、反イスラーム感情が強い。これは、もともとムスリム移民が多かったため、「移民が労働市場を圧迫する」、「移民がヨーロッパの文化や規範を受け入れない」などの批判に端を発したものだったのだが、後に、9・11が起きると、反イスラーム感情は広い範囲で激しくなった。
民族差別や人種差別問題では、「人権の先進国」を名乗ってきたようなドイツ、フランス、オランダ、デンマークなどの国でも、ムスリムへの敵視、イスラームへの侮蔑と反感は過去8年で急速に高揚し、公然化とイスラームへの嫌悪感を唱える人々が増加した。
イスラームとテロを直結させ、諸悪の根源はイスラーム原理主義だとする言説が蔓延したことがあるのだが、ヨーロッパ諸国の反イスラーム感情は、たちの悪いところがある。ブッシュ政権下での反イスラームというのは、イスラームとテロを結びつけるという単純な論理だった。
一方、フランスのような「言説の帝国」は、あらゆるロジックを駆使して、イスラームが根源的に民主主義や男女の同権と相容れない宗教であることを繰り返し訴え、法制度まで変えてムスリムを疎外した。
ムスリム女性のスカーフやベールにまで執拗に攻撃を加えたのは、フランス的啓蒙主義の精神の延長線上にあるにしても、行き過ぎた「異文化への憎悪」と言わざるを得ない。
デンマークでの預言者ムハンマド・風刺画事件もまた、「表現の自由」vs「宗教的過激主義」の問題だと声高に叫ぶヨーロッパの政治家やジャーナリストによって、ムスリム疎外の手段に利用されてきた。
今回のオバマ演説の特筆すべき点は、これらの反イスラーム感情(イスラムフォビア)から、完全に距離を置いた点にある。理解しあえないとしても、イスラームとムスリムに対する敬意と相互理解を追求していくと宣言し、イスラームという宗教自体に「問題がある」と受け取られる表現を一切使っていない。「原理主義」という表現も使わなかった。
しかも、上述のように、自分のパーソナル・ヒストリーに言及して「自分も家族にムスリムをもつ一人だ」と言い切ったのは、全世界のムスリムへのリップサービスであるにしても、相当に踏み込んで、「イスラームを敵視せず」と表明するには効果的であった。
アメリカ外交のプラグマティックな性格とリベラル・デモクラシーの伝統に沿った発言ではあるが、今日のイスラーム世界vs欧米の緊張関係を感情的な面で緩和させるうえで、大きな効果をもつ演説であったことに疑いの余地はない。