2008年7月14日
内藤 正典
ジョジョの奇妙な冒険、イスラム冒涜問題について
事件のアウトライン
『ジョジョの奇妙な冒険』(原作 荒木飛呂彦、集英社)のアニメ版に、イスラムの聖典コーランを使用したことがアラブ圏で問題になったことが、5月21日付夕刊各紙、及び一部22日朝刊で一斉に報道された。第一報は、共同通信カイロ支局の記者による記事で、日本語版と英語版とがある。英語版があったことで、本件は、瞬時に世界中のメディアに転載された。
集英社とアニメ製作会社は、公式サイト上に直ちに謝罪の声明を日本語、英語(21日)、アラビア語(22日)に掲載した。報道では、集英社側が迅速に謝罪し、当該アニメ版と原作のコミックスについて出荷を停止した。
ムハンマド風刺画事件
マンガやアニメによるイスラム冒涜問題といえば、私たちがすぐに思い出すのは、2005-06年に起きた「預言者ムハンマド風刺画事件」である。この事件は、2005年の9月30日にデンマークのユランズ・ポステン紙が、イスラムの創始者である預言者ムハンマドを戯画化した12枚の作品を紙上で掲載し、イスラム圏各国のコペンハーゲン駐在大使から抗議を受けたものの、政府としては民間の報道機関に対して、規制を行う立場にないことを表明した。ユランズ・ポステンは、在デンマークのムスリムからの抗議を受けて謝罪した。しかし、表現の自由を主張するヨーロッパ各国のジャーナリズムは、この風刺画を次々に転載しはじめ、事は、世界に拡大した。
これに対し、イスラム諸国会議機構(OIC)などが、反対の意見を述べ、加盟60カ国あまりにこの事件が広まった。シリア、レバノン、イランなどでは、激しい抗議行動が発生し、デンマーク大使館が襲撃されたり、デンマーク製品のボイコット運動にも発展した。
「神の法vs.人の法」
ここで論じるのは、「表現の自由」か「信仰への侮辱」かという問題ではない。要点を指摘しておくなら、この種の問題でムスリムと非ムスリム(欧米)が衝突した場合、解決の糸口は絶対に見出せないという点である。非ムスリムは「人の法」としての憲法が定める「表現の自由」を至高の価値として、宗教的象徴であれ聖典であれ、批判や諧謔の対象にできると考えるし、他方、ムスリム側からみれば、「神の下した聖法」にもとづいて「ありえないこと」と反駁するから、両者には決して接点を見出すことはできないのである。
今回の問題への対処
今回、集英社の対応は迅速かつ多角的だった。22日付読売新聞が報じたように、集英社側が「5月上旬から報道機関の指摘により調査していた」のであれば、事態を座視せず対応を取ったことになる。21日に共同からの記事配信が始まった日に、出版元の集英社が日本語と英語での声明をウエブサイトに発表し、翌日にはアラビア語でも同じ内容の謝罪ステートメントを掲載している。
集英社は、ムハンマド風刺画問題でのデンマークやフランスなどの新聞社とは全くことなる対応を取った。これは世界的にみて異例の対応である。ヨーロッパ各国(風刺画を掲載しなかった英国を除く)では、「すわ表現の自由をムスリムが侵した」と色めき立ち、イスラムの圧力など何するものぞというトーンで風刺画の掲載と論評が続いた。集英社は、率直に、アニメのなかに聖典コーランを使用したことを不適切と謝罪し、他にも独自の調査に基づき、モスクでの戦闘シーンなど不適切な場面があったことを、イスラムとムスリムへの理解を欠く行為であったとして陳謝している。
集英社には、ユランズ・ポステン紙をはじめヨーロッパ・メディアに見られたような、「表現の自由」を盾に取った居丈高な物言いはまったくない。ここは注目すべき点である。
ニュースが報道されるやいなや、ネット上には膨大な数の書き込みが開始されたが、2chのような場では、当初、ムスリムへの誹謗中傷、集英社の弱腰を非難するものが多かった。これは、危機管理の面からみると注視しなければならない事態である。数万は存在する在日ムスリムが、この種の書き込みを読めば、感情的な反発をまねくからである。
しかし、その後のネット上での動向をみていると、『ジョジョの奇妙な冒険』の熱心なファンが、報道について冷静な分析を行い、はたして「中東で批判集中」というような事案が現実にあったのかどうか疑問を呈するものも散見された。2ch上でも、記事だけを頼りに、ムスリムを批判したことを謝罪する内容の書き込みがあったことは、新聞等の報道後、読者が冷静な判断を示したもので、この点も欧米での風刺画事件のときとは、様相を異にしている。
実際、共同通信およびAFPによって記事が世界に配信されるまで、中東で具体的な抗議行動が起こされた形跡はなかった。抗議する内容は、記事にあったとおり、アラビア語のウエブサイト上には存在した。キーワード検索した限りでは、相当数がヒットしたものの、かなりが同じ文面であるところから、同一投稿者もしくはそれがコピーされて順次転載されたものではないかと考えられる。
投稿の内容は、「悪人がコーランを読んでいる」「コーランを読む者は悪人だというのか」「日本のアニメはムスリム(イスラーム教徒)を悪人、テロリスト扱いしている」「幼い同胞(ムスリムの子どもたち)に害悪を与える」等の内容である。しかし、この書き込み自体には論理性がない。悪役がコーランを読んでいたとしても、コーランを読む人間が悪人だという論理はそもそも成り立たない。投稿者はアラビア語のブログサイトに投稿していたが、一部に感情的な反発はあったものの、アラビア語サイトにおいても、投稿者の論理には無理があるという指摘もあり、いわゆる「炎上」状態にはなかった。
しかしながら、当該アニメ作品において悪役にとっては敵役にあたるヒーロー、ジョジョたちを「始末しろ」と手下に命じるシーンでコーランを使ったことは不適切であった。アニメ版では、ほんの一瞬、悪役DIOが読んでいた書物が落下するシーンがあり、その部分を静止させると1秒もないのだが、アラビア語の書物であることがわかり、それを解析したところ、聖典コーランの「雷鳴の章」であることが判明した。この部分をコーランと特定した最初の投稿者は、ネット上で流れていた映像ではなく、DVD版を精密に調べたものと思われる。YouTubeなどにあった映像では、解像度が低いため、コーランであるかどうかの特定は困難であった。
コーランはコピーであっても、本物であれば、ムスリムにとって、聖典である。したがって、聖典が表示される場面の適切性は、ムスリムにとってきわめて重大な意味をもつ。コーランは、神の言葉を記したものであり、ムスリムにとって、命に勝るかけがえのない存在である。家においても、コーランの置き場所には細心の注意を払い、手に取るときにも決して粗略に扱わない。非ムスリムは、コーランをメディア等で扱う場合には、ムスリムにとって聖典のもつ意味を十分に理解しておく必要がある。
アラビア語圏での投稿者は、DIOが書物を読んでいるシーンおよび、コマを静止させコーランであることがわかるシーンの2枚の静止画を各サイトに掲載していたが、この点には疑問が残る。投稿した人物がムスリムであるならば、このようなシーンに嫌悪感を感じたはずで、それを次々に転載したり、多重投稿する意図が判然としない。実際、Islam Onlineのようなイスラーム組織系列のウエブサイトでは、このような写真そのものが不適切であるとして掲載していない。Islam Onlineはコミックス版の表紙を掲載している。写真を掲載していたアラビア語サイトは、比較的、政治色のないアニメ関連のサイト、および、日常生活をイスラームにしたがっていかに正しく生きていこうとするかを個人的に論じているブログが多かった。したがって、原作品、原作者、出版社などへの攻撃はそれほど激しいものではなかった。
危機管理の観点から
共同通信の英語による配信記事がJapan Timesをはじめ、世界各国のメディアに流れ、そこからネット上に拡散していく過程で、思わぬ方向に拡大解釈される可能性がある。日本語の記事にもあったエジプトのアズハルのイスラム法学者による見解が、日本に対して敵対的なものであること、さらに英語版の記事では別のイスラム法学者が、日本製品の不買運動を示唆したとの報道などが、世界のムスリムのあいだに広まった場合の影響は無視できない。
ただ、ここで重要なことは、イスラム、特にスンナ派においては、宗教上の最高権威なるものは原理的に存在しない以上、アズハルの法学者がある見解を示したとしても、それが直ちにイスラム教徒の共通の見解にはならない点である。これは、配信記事における問題点の一つだが、ネット上の批判的書き込みは多数存在したものの、実際、抗議行動、デモ、暴動等が記事が出る以前に発生していた形跡がないため、もし、今後、何らかの抗議行動が起きるとすれば、事実関係からみて、共同通信配信の記事が直接の原因となりうる。
私はジャーナリストの立場ではなく、異文化間の衝突を抑止する立場にある。その立場から見ると、共同通信がアズハルに取材して示された批判的見解だけが報じられたことには懸念を抱く。もし、原作者および集英社側がイスラムに対してなんらの敵意がなく、過ちでかかる事態に至ったとの事情を説明してアズハルの法学者から意見を聴いた場合、異なる見解が示された可能性がある。
イスラムにおいて、嘘は最大の罪とされる。嘘をつかずに誠実に対応する場合、多くのムスリムはこのような事案に対して寛容な対応をとる。
しかし、デンマークの風刺画事件のように、当事者のユランズ・ポステン紙のみならず、各国メディアが次々に表現の自由をかかげて挑発した場合には、もはや急進派の過激な行動を抑止できなくなる。本件の場合、少なくとも、集英社のステートメントを読む限り、挑発の意思がないことは明白であるから、そのことが事前にアズハルに伝わっていたら、日本を敵視するかのような見解が示されたかどうか疑問が残るのである。
また、記事が世界に拡散していく過程で、誤った方向に解釈するものが出ていたことは、もうひとつの問題である。「悪役がコーランの指示に従って敵を殺せ」と命じているという報道およびブログサイトへの書き込みは世界中に出回った。だが、原作にもアニメ版にも、そのような表現はなかった。これは、情報が拡散するにつれて、誤った内容、特に敵対的な内容に変化したことを示している。デンマークのユランズ・ポステンの場合もそうであったが、原作者や著作権者の許諾を受けずに、世界中に絵や話だけが拡散した場合、その過程で悪意が増幅される危険がある。
もちろん、イスラームを含め、異文化への理解を深めておくことは、衝突を回避するための基本である。しかし、誤認や無理解によって、挑発の意図なしに問題が発生することもありうる。その場合、率直に過失を認めて謝罪することは、表現の自由の敗北ではない。