2008年7月28日
内藤 正典
トルコ、与党解散請求訴訟とエルゲネコン疑惑
トルコ内政の混迷
トルコは、過去6年間、2002-2007年、2007-と二期にわたって、公正・発展党(Adalet ve Kalkınma Partis:AKP)が政権を率いてきた。この間、年率8%前後の経済成長を達成し、IMF等の強力な支持もあって、インフレ抑制に成功し、通貨も安定している。実際、インフレはなくなったわけではないが、1990年代に比べたら、トルコ国民の実感として隔世の感があるほどインフレとトルコ・リラ下落の悪循環はなくなったはずである。90年代には、実勢として年率100%近いインフレであったし、それにぴったり呼応するようにトルコ・リラの価値は下落していたのである。
順調に成長を遂げ、政治的にも安定したトルコを急速に不安定化させたのは、主として外的要因である。第一は、第一期エルドアン政権の下で緒に就いたEU加盟交渉を、EU加盟国側が理不尽なダブルスタンダードにより一部凍結させ、加盟への日程さえ示さないという不誠実な対応をとったことである。主要なEU加盟国であるドイツやフランスは、加盟交渉開始前後から、強硬なトルコ加盟反対論を唱える国内世論に押されて、トルコの加盟を正式加盟から「特権的同盟関係」という過去のEUには存在しない新たなステイタスに留めようと画策した。
このことは、トルコ国民のあいだに、EU加盟の熱意を失わせた。その反動として、論理的にありうるのは、①イスラーム化の傾向を強めること、②トルコ民族主義の方向に向かわせること、の二つであった。そして、2007年の第二期エルドアン政権では、①の方向性が徐々に明示されるようになった。
②のトルコ民族主義の興隆は、これも、外的要因によって強化された。2006年来、北イラクのクルド自治区に拠点を置くPKK(クルディスタン労働者党)が、トルコ領内に侵入して激しくテロ攻撃および軍に対する攻撃を繰り返した。ここでいう外的要因とは、単にPKKのテロ活動を意味しない。PKKは、メスート・バルザーニ率いる北イラクのクルド自治政府によって保護されており、クルド自治政府は、イラク戦争とその後の占領において、イラク国内主要勢力で唯一、最も親米的であった。すなわち、トルコ側からみると、テロ組織PKKの背後にはクルド自治政府を率いるバルザーニがいて、その背後には同盟国(トルコはNATO加盟国)である米国がいるという、憤懣やるかたない状況となったのである。
その結果、2007年には国内にトルコ国民による国家主義を強調する声が強まり、7月の総選挙でも、第三党に民族主義を強調する民族主義者行動党(MHP)が躍進し、議会決定を経て07年12月以来、北イラクPKK拠点に対する越境攻撃が断続的に行われている。
イスラームの可視化を進めた政権とその反動
レジェプ・タイイプ・エルドアン首相とアブドゥッラー・ギュル大統領が車の両輪をなしている現在の公正発展党政権の性格は、内外から二つの異なる評価にさらされている。その1つは、「穏健で民主的なイスラーム的ルーツをもつ政権」というもので、国内の支持者と、アメリカ、EU諸国のメディアや政治家による評価はこの方向を示している。第2は、「穏健を装っているがイスラーム主義的傾向を隠しており、いつかイスラームを前面に出した政権に変わって行く」というもので、これは、海外ではほとんど支持を得られない。もっぱら国内の伝統的世俗主義者、つまり建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクが定めた国家原則の「世俗主義」に反する政治勢力とみなして現政権を批判するのである。
私は、この二つの見方とも、不十分な分析とみている。結論を急げば、このような二項対立的な見方で公正発展党政権をみてきたことが、あるいは彼ら自身にとっては「見られてきたことが」、今日の混迷を引き起こしたと考えている。
公正発展党政権が進めた政策のうち、少なくとも経済を急成長させたこと自体は、批判されるべきことではない。懸念されるのは、次の二点である。①幹部公務員のポストに、政治的信条を同じくする人々をポリティカル・アポインティーとして登用させ、明らかにイスラーム保守系の人物が、各機関の幹部職員に増殖している点、②女子大学生のスカーフ着用を解禁するため、関連する憲法の改正に踏み切ったこと。改正内容は、別段、世俗主義を脅かすものではなかったのだが、憲法裁判所は、背後にある「イスラーム主義的意図」に敏感に反応して、2008年6月にこの改正を「違憲」として一蹴した。
表面上、これまでになされたことだけなら、せいぜい上記の変化だったのだが、市民のあいだの世俗主義支持派は相当な危機感をもっていた。これは、アタテュルクの建国なくしてトルコなし、ゆえにアタテュルクの定めた国家理念・原則は徹頭徹尾堅持すべしという教条的な信条にもとづくものだが、過去80年代までは、軍が政治においてもっと高いプロフィールを有していたため、軍の威を借りることによって「アタテュルク主義者」の市民は、イスラームが社会や公的領域において可視化されることに公然と異を唱えたものであった。だが、いまのトルコでそれをしても、過半数の人たちは聞かない。飽きちゃったのである。所詮、アタテュルクの申し子的市民や「市民社会組織」は、自称左派、自称社会民主主義、自称啓蒙された先進的知識人だが、今のトルコに必要なのは、経済の安定成長を実現できる手腕と知能をもつテクノクラート、実業家、政治家であって、85年前の国家的教条をふりかざす人たちが、国家の将来のために貢献する余地は限られている。
とくに、世俗主義派が、女子学生のスカーフ着用という個人の身体性に関わるセンシティブな論点を執拗に焦点とし、着用している同じトルコ国民に対する侮蔑的態度をとり続けたことは、イスラーム主義にシンパシーをいだく庶民から知識人までも遠ざけてしまった。その結果、47%もの高得票率で公正発展党は第二期政権の単独与党となりえたのである。
反動は頗る感情的なもので、2007年にはトルコ国旗を打ち振って、イスラーム政党のギュルが大統領に就くことにプロテストする市民運動に発展した。だが、そのときにも、これがトルコすなわち人口のほとんどをスンニー派ムスリムが占める社会において、世俗主義がなぜ必要なのか、その現代的意義を積極的に提示できるものではなかった。
PKK問題やEUの理不尽な対応に対する「トルコ国民の不満の爆発」としては理解できるが、将来の共和国の展望につながるようなパースペクティブを示すことはなかったのである。
しかし、イスラーム派および公正発展党は、選挙でも大勝し、10月には憲法をより民主的・リベラルなものにするという大統領選関係の憲法改正パッケージを国民投票にかけ、70%という圧倒的支持を得た。
これを受けて、とりあえず、最も単純な事案である女子大学生のスカーフ解禁を「民主的プロセス」によって実現しようとたのである。
これに対して、共和国検察庁は、憲法第二条の世俗主義条項(これは第4条で改正不可条項となっている)に違反したとして訴追に踏み切ったのである。
与党解散訴訟
トルコ国民の多くは、アラブ人と同様、陰謀譚に引きずられやすい。理性的でないというのではない。相当合理的な思考力をもっている人でも、ある一線を越えると、陰謀説の渦のなかに巻き込まれがちである。
今、トルコの政局を大混乱に落としいれている一つは、前回の選挙で47%という圧倒的な支持を得た公正発展党を解散させ、ギュル大統領、エルドアン首相をふくむ71人の有力政治家を5年間にわたtって政治活動禁止にするという訴訟が、共和国検察庁(署名は検事総長)によって起こされ、憲法裁判所はこれを受理して審理が開始された。
外からみていると、民主的な国にはそぐわない事態である。欧米各紙・誌が一斉に、「トルコの民主主義が試練に立たされている」「政治問題は議会で論じるべきもので、法廷ではないはずだ」など、公正発展党側を「民主主義の象徴」、起訴している検察は「司法の横暴」「伝統的ケマリズム《アタテュルク主義》の最後の抵抗」と評価されている。
しかし、起訴を支持している「世俗主義者」は、この訴訟が、トルコにおけるイスラーム政党の台頭を抑止できるか否か、最後の審判になると注視している。一般に、トルコで世俗主義原則の強力な擁護者は国軍だとされているが、少し注意を要する。国軍は、軍であって、逐一、政治に干渉することなどできない。政軍関係は、ずいぶん成熟しており、1980年代までのように、内政の混乱に応じて軍がただちにクーデタを起こすような状況ではない。
軍は、軍としての任務を憲法の定めによって果たすのであり、先般の北イラクでのPKK攻撃に際しても、議会の攻撃承認⇒政府への全権委譲⇒政府から軍への攻撃指示という手続きを踏んでから攻撃にでた。
司法(検察)も憲法裁判所も同じことで、各々の権能の範囲において与党およびその政治家が「憲法に違反する、すなわち国民に対する背信行為を組織的に行った」として解散請求訴訟を提起した。だが、国民の一部に高まる「公正発展党=イスラーム政党=アタテュルク主義の冒涜⇒トルコをイランのようにするに違いない」という先読みしすぎた陰謀説のために、検察が動いたわけではない。ただ、このところ、PKK問題を除くと、軍幹部が沈黙を守っているのに対して、検察・憲法裁ともに、ちょっと喋りすぎている。告発している検事局には、骨の髄までアタテュルクの理念を堅持しようという国家主義者がいるかもしれないが、起訴も審理も、個人の信条に左右されることなく法理を尽くして判断すべきことがらであるから、その点で、若干まだ「検察」や「憲法裁」には、「共和国の主役」気分が抜けていない。二度の総選挙を安定多数で乗り切った以上、好むと好まざるとに関わらず、すでに国家の主役は国民であることを自覚せねばならない。
政府の逆襲か、国家転覆の陰謀か
エルゲネコン疑惑については次項で分析するが、政府側も、かくも民主的に選ばれた政府が、検察庁から「世俗主義の憲法原則違反」として解散請求訴訟を提起されるとは意外だっただろう。起訴している側は、憲法原則の堅持を図る意図だから、外国が「司法の横暴」と批判しようとも、トルコ憲法の改正不可条項がある以上、これに反したなら、訴追せざるをえない。」
次の段階として、当然、政府与党は逆襲にでる。ここからはポリティカルな行動である。当初、2007年にイスタンブルのアジトで大量の爆発物などが押収されたことに端を発した、いわゆる「エルゲネコン」というコードネームの陰謀は、7月25日にイスタンブル地方検察庁から膨大な起訴状(2500ページ)が公開されるにおよんで、政府与党の転覆のみならず、アルメニア大主教、ギリシャ正教の大主教、ノーベル文学賞のオルハン・パムク、政府のエルドアン首相、軍最高幹部のブユクアヌト参謀総長、クルド系政党DTPの党首やデユアルバクル市長(東南部の主要都市でクルド人口が集中)まで暗殺のターゲットとなっており、国内を混乱に陥れることで軍のクーデタを誘発する陰謀であったと発表された。
こうなると、単にイスラーム主義政党の公正発展党を嫌って転覆を図ろうとしたのみならず、軍の参謀総長や、マイノリティの代表をも暗殺ターゲットに入れていたところから、トルコ社会全体を混乱に落としいれようとしたことになる。さて、この「エルゲネコン」とは何であったのか、次回で分析を試みたい。